演劇は究極のSMショー
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「演劇は究極のSMショー」

自分との別離。

自分の中にさめた観察者としての目を育てて行く。

そして、自分を消し去って、他の人の姿を演じて行く。

自分を消し去れない限り、自分という恥ずかしさの中で自分の心に辱められる。

その恥ずかしさ、自分の中にある人には見せない自分を、だんだん人目にさらされて行く。

演出家の巧みなムチさばきの中で、だんだん引き出されて行く。

サディステックな演出家の要求と、自虐的な役者との掛け合いの中で作品が作られる。

演劇は、究極のSMショーだ。

演出家の下でオーデションを受けるということは、演出家に裸の自分を渡したようなもの

配役を決めるときは、演出家がどの素材を使って料理しようか決めるようなもの

そして、素材の気持ちなんぞお構いなく皮をむいて、そのうえ包丁で切り刻む

今まで、皮をまとい、根を付け、葉を付けていた自分の姿を演出家はお構いなく

みんな剥きとりザクザクと包丁を入れて、演劇という鍋に放り込む

ところが、この鍋を火に掛けて過激な練習という虐待をすることで味が出てくる

全体のハーモニーがとれてくる。

不思議な味がする、評判をとる味になる

そのとき、素材は元の姿を失って、別な姿になっている

今までの自分を消し去って、さめた観察者としての「私の目」を内存して他人を演じて行く

自分との別離、これが演劇なのか

平成11年9月28日記 高野 裕 

 リリック野外劇「夏の夜の夢」構成・演出/安田雅弘 9月24〜26日に参加してみて、演劇初体験の私が感じた演劇感想です