今日も大地の芸術祭に行ってみようと思った
さてどこを見ようかとマップを見ていたら気になるところがあった
地図のつながりが小国と書かれている
小国は長岡市になっているから隣と言うことだ
さらに、前回も気になったのだが
松代の奥に流れている川が渋海川という
渋海川といえば私の所からも見える
そう、信濃川にそそぐ川だ
私の所から信濃川への合流地点が見えるのだから
そこをさかのぼってゆくと松代までつながると言うことだろうか
私の感覚では小国の先は高い山となっているから
渋海川の源流は小国の山奥だと思っていたが
どうもそのようなことではなさそうだ
そう思い始めたら、よし、渋海川をさかのぼってみようと思い始めた
まずは、ここは渋海川が信濃川に合流する最終地点に掛かっている橋だ
そこから上流を見た写真だ
さらに、これは越路の手前で土手の上から上流を写す
同じ場所で下流を写す
岩塚の先当たりにある橋
私の友人が話してくれた
こういった橋は古い橋で
昔イギリスとかから持ってきてどこかの陸橋として鉄道用に使っていたものを
古くなったので撤去して、今度はお下がりとして
他のところで使い回している橋だという
だから出所を確認すると由緒正しい橋と言うことらしい
これは小国に入ったばかりの所に掛かっている橋だ
小国の平野を越えて山に入ったところで
長いだし車の行列にあった
このだし車が集落をゆっくりと通過するときに
なにやら沿道に待機していた住民に
車上から餅のようなものをばらまいていた
その餅を住民が拾っている
峠に浄水場が在った
その近辺に田んぼが広がっている
こんな山の上でも田んぼが広がっている
水は山のわき水を使っているのだろうか
渋海川は、かなり下の谷底を流れているのに
こんな山の上で水田が広がっているのが不思議な感じだった
浄水場があるということだから
水は豊富なのかもしれない
歩くとバッタがパタパタと飛んでゆく
田んぼに近づくとおもしろいように飛んでゆく
強い日差しを浴びて峠の田んぼは
青々と広がっていた
見上げれば夏雲が目の前に広がっていた
峠を過ぎたらそこはもう十日町市だという
早速、そこの地区には大勢の観光客が来ていた
大地の芸術祭の力は大きい、観光バスを仕立てて客がこんなに山奥までやってくる
この地区はなんでも生け花というのか、創作生け花というのか、ん、ま、ダイナミックなのだ
これは、ワラ縄とティッシュペーパーなのだ
ん、ま、大胆なのだ
座敷の中にすごいですねー
真ん中に花のようなものがあるのですが
そこに、外から鏡で太陽の光を当てているのですが
だから、それがどうした
そう聞かれたら、ただそれだけですとこたえるしかありません、ハイ
これがまたすごい
何がすごいのかというと、この家は災いが多かったという
だから部屋の真ん中に神事に使う榊(さかき)や麻や、鷹の爪というのか、ま、とにかく
神に良いものを全て集めて部屋の真ん中に飾った
そして、部屋の四隅には盛り塩をして
この部屋の厄払いをしているという
作者がそこで説明してくれる
ま、説明を聞くとなるほどなるほどとうなずく
しかし、単にこの部屋に入ってこの作品を見ると
だから何なんだ
そう言いたくなってしまう
ま、いろいろあるのだ
地域の中をフラフラと歩く
甘い香りがする
甘い蜜の匂いがする
道ばたにはコスモスの可憐な花が咲き誇っている
道ばたの両脇に咲いている
蝶が集まってくる
忙しく、花から花へと飛び回っている
辺り一面甘い蜜の香りがする
庭先を見る
池の中に蓮の花が咲きかけていた
自然豊かな地域なのだ
農家に入る
階段が非常に急なのだ、階段と言うよりハシゴという感覚だ
農作業用の道具が真っ白に塗られている
この真っ白に塗るという手法は
そこに生活臭さや雑多なものを排除して
純粋にそのものだけの世界を生み出すというか
ま、シンプルにしてくれることで
別な世界が見えてくると言うことだろうか
事実、ここも真っ白に塗ることで
なにやら美術館のようになってくる
よく地域の農業用の生活道具をあつめた資料館があるが
そんなところに行くと
なにかパットしないものがある
資料的価値はそれなりにあるのだろうと思うが
あまりおもしろくない
そう、おもしろくない
良いイメージがないのだ
それにくらべると、ここはちょっと雰囲気が違う
それはこの作者が農作業の道具によけいなものを排除したいと感じたからなのかとおもう
白く塗ることで別世界を生み出しているのだろう
農業は水が命だ
水がなければ農業は成り立たない
そう、ここで、ここは山の上に近いところだ
ここで、農業が成り立っていたと言うことは水が出ていたと言うことだ
建物の外に出てみると名水の看板が出ていた
そう、とても冷たい水だ
本当に冷たい水だ
ひしゃくもたっぷりの水をくんでくれる
水が命なのだ
そう、この水も渋海川へと流れているのだ