平成18年08月26日(土曜)その2

どうぞお入り下さいと書かれていた
中に入ってみた
寝そべってみた
まるで繭のなかで変態するような
モスラのような不思議な感覚になる

昔の理科研究室と言うところだろうか
懐かしいものがいっぱいある
プレパラートに挟んで顕微鏡を初めてのぞいたり
人体模型が気持ち悪いとおもったり
そんな教室の床にTDKのカセットがキチンと敷き詰められている
時間を樹脂で固めて保存したように

土偶やらヤジリやら、いろいろなサンプルが入っている標本があった
その中に金印が目についた
そう、昔このように金印をサンプルとして見せてくれたから
日本全国の子どもたちは金印のことを知っている
そう、日本のどんな山の中の学校でも
こうやっていろいろな基礎教育が徹底されて行われた
日本の基礎教育の水準の高さが感じられる

学校のグランド脇の並木が印象的だった

ここは地域の祭礼があるようだ
昔から神社の祭礼にはこうやって門のようなものをつくっていたのだろう
先日、京都の祇園祭で見た鉾の上に付けられたものは
竹だったと記憶する
ここではこのような祭礼ではススキが使われているようだ
御祭礼と書かれた裏側には「十二大明神」と書かれている
そう、この十二大明神とはどういう意味か私は知らないが
なにかよく見るような気がする


十二の大明神なのだろうか、ま十二の神様ということだから
一年十二ヶ月と意味があるのだろうか
十二支の干支と意味があるのだろうか
わからないことばかりだ

日本の地方に根ざした行事の中には
本来いろいろな意味があって行われていたのだが
いつの間にか、形式だけになって
意味は十分理解されなくても形だけは残っているということが多くある
もちろん十分意味が理解されて伝えられることも多いのだろうが
残念ながら、私にはまだ知識不足のことが多すぎる


このお宅は家の中にこんな空間が生まれている
しかし、ちょっと脇の戸を開けると
まったく生活していたまま
冷蔵庫や洗濯機などをそのまま放置して
今ではほこりをかぶっている家となっている

このお宅の入り口に書かれていた
杵、臼、などなどを販売しているという
現物が置かれていた
昔から使っていた臼や杵、そう昔はこういったものが当たり前のように在った
それを今では電気製品ですべて処理できてしまう
人類の知恵がすべて電気製品に代わってしまったようだ

そうそう、最後に書かれていた、この家、家賃無料と書かれていた

その家の奥に地域の神社がある
そう、先ほどの祭礼と書かれている十二社というやつだろうか


なにか牛若丸でも出てきそうだ
オシャレな衣装を着せてもらった子どものようだ


神社前の広場には、この神社のマークがつくられている


そう、こんな風に晴れ着を神社に着せてみるとは
まるで今までの固定概念に固まっていたところに
ポトンと天から水滴を投げ込まれたような状況だ
そう、ここから波紋が広がってゆけばおもしろい

ただ単に、薄い布を垂らしただけではなく
この脇に付けられている模様がなんとも雅(みやび)な雰囲気を醸し出している

ちょうど、今日明日はあちこちで祭礼があるようだ
かく地区を車で走っていると
よくこのような、のぼりが目につく

十日町の町中に入ってきた、町中にのぼりが数多く掲げられている

よく見ると、一つ一つに地元の方言が書かれている
そう、方言が全てののぼりに一つずつ書かれている
「かがっぽい」そうこれこれ、これが通じないのだ最近は
まぶしいという意味だ
まったく若い人に通じないのだ


ここは歯医者さんだったお宅だ
そのお宅にあったのだろうか
毛布やタオルケットなどが折りたたんで積まれている
しっかし、何でも作品になってしまうと感心している

階段を上ってゆく
急な階段だ
まるで青春ものの場面に出てくる階段のぼりの練習を、向こうから剣道着のままでかけ声を掛けて
やってきそうな階段だ
その階段を上る
階段の向こうに大きなお寺の屋根が見える
大きなお寺だ
禅宗のお寺のようだ

階段を段々上ると広いお寺の境内が見えてくる
その境内の続きに神社が見える

ここはチョウチンが掲げられ
紅白の幕が掛けられている
キチンとした地域の対応がなされているところだと感じた
地域の団結力というか統率力というか
長老がキチンと伝えることは伝えて
地域のまとまりの良さが在るのかと推察する

セミが鳴く
近くで聞こえた
どこにいるのかと探してみたら
いたいた


蝉がいた

お寺の裏山に竹の柵が作られていた
最初はおとなしい柵だった
ところがだんだん進んでゆくと
この柵が暴れ出す
くねくねと暴れ出す
まるで龍が空を飛ぶがごとく暴れ出す


木々の間をくねくねと龍が舞っている


これは龍の目だろうか
この向こうに見える景色がまた次なる広がりを示してくれる

裏山を下りてくるとお寺に戻る
立派なお寺だと感心する
曹洞宗の慈眼寺だという

社務所の前に石仏が三体ほど置かれていた
おもしろいと思った
カメラを向けた
何となくとぼけたような感じがおもしろいと思った

ん、ん、なにやら唸(うな)っているようだ

ひょうひょうとした感じがする、おもしろい

なにか語りかけてくるようだ
何が言いたいのだろうか、おもしろい
そんななかで私がカメラを石仏に向けていたら
本堂の方から歩いてくる
なかなか芯のしっかりした
それでいてどこか虚無な感じの方だ
住職さんでは無かろうかと思い始めた

私を見て声を掛けてきた
カメラをやっているのですかと聞く
いや、素人のいたずらですよと

私が、大きなお寺ですねと聞くと
いや、田舎のお寺ですからこんなもんですよと
どこか投げやりな感じで答える

ちょっとなにか言葉を交わしたことで気持の敷居が低くなったような気がした

うれしいことに、水でも掛けましょうかと提案してくれた
おもしろいですねと答えたら
水道の蛇口をひねって水を掛けてくれた


ん、何か満足しているような表情だ


これは良い
満足のいく雰囲気が良い
住職に聞く、何という石仏ですかと
単なる羅漢様だと答える


実は、「羅漢さんが通る、まわそじゃないか」などという歌を思い出していた
というよりそれ以上の情報が私にはなかった

いやはや、自分の無知さ加減に驚いた
本当に知らないことばかりだと

お寺の屋根をみる、キチンとした職人が屋根を葺いている
最近はだんだん職人がいなくなっている

社務所というか母屋というか、やはり由緒正しいお寺なのだと思った
これだけのお寺がここにあると言うことは
この地域の人の信仰心と文化度の高さかと思った
大切にしてゆかねばならないことだと思いながら
いつまでも住職の顔が印象的だった

夜になった
十日町の町中を浴衣を着た女性や子どもたちが歩いている
花火が上がるようだ

私は、十日町から山の方に入っていった
途中、リゾートホテルの広大な敷地に灯りが灯ってきれいだなあと思いながら走り抜けていった
行き先は山の中のスキー場だ
何でも「星取」をするという
誰もいないのかと思いながら山道を淡々と走っていった
本当にやっているのかと思いながらひたすら走っていった

スキー場に着いた
車がけっこう止まっていた
入り口で「星取網」なるものを渡されて林の中に入っていった
道筋には足もとに灯りが用意されている
林の奥に入ると
クレーン車でつるされた天井から灯りで照らされている
その灯りは星型の灯りとなっている

係の人から説明を聞く
星取網をかざすと、場所によって星が取れるという
小さな星だったり、大きな星だったり
なるほど、場所によって星が取れる
そう、星が取れるのだ

なにやら小さな感動が生まれる
そう、星がいるいる、ここにも、ほらそこにも
星がいる

みなさん喜んでいる
そして、説明が続く
ここに手をかざすと、小さな穴を通して星が写るでしょと
手の位置を上下すると星が見える


天井にある星の形をした照明からピンポイントの隙間を通って
天井の星が写る仕組みだという
なるほど、と感心した

とても夢を与えてくれるプロジェクトだ
おもしろいと思った

帰り道
高原の途中でまちを見下ろしたら
あちこちで花火が見えた
同時に三カ所くらいから花火が上がっているのが見えた
新潟県は花火王国だなどとPRがされている
実際、よく花火が上げられる

夜空を見上げた
いくつもの星がみえた
普段見たこともない星ばかりだ

十日町の町中はお祭りでにぎわっていた

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