平成17年10月14日(金曜日)

ここは松山市の中心に建っている全日空ホテル

会場が意外に狭い

なんでも、入りきれないので別室にモニターを流しているという
全国から集まっているので懐かしい顔にあえる
あちこちから声を掛けてもらえる
久しぶりということで握手をしたり肩をたたき合ったり
そう、全国大会でしかもうあうチャンスのない仲間も大勢いる
休憩時間に久しぶりな会話を楽しむ
私は毎年、この全国大会に参加してきている
もう、この大会に参加しなければあえなくなっている仲間が
いかに多くなったかと思った

日税連の森会長挨拶などセレモニーが続く

会場にはスクリーンが3面用意されパワーポイントの画面が写し出されていた

愛媛ということでミカンがマークになって使われていたが
そういえばこちらに来て100%果汁のオレンジジュースなど販売しているところを見ないな、などと思っていた

考えてみれば、20年ほど前だったろうか
私がひょんなことからこの日税連の公開研究討論会メンバーとして新潟県代表で参加させてもらった
そんなことがきっかけで
いろいろな勉強会に参加するようになったし
全国からの勉強仲間も増えたし
いろいろな雑誌にも原稿を書くチャンスも頂いたし
そして論文集にも原稿を書かせてもらうこともできた
そして、全国に知り合いというか仲間もできた
そうそう、結局社会人入学で横浜国立大学の大学院にも入学させてもらった
そんな一連のスタートにこの日税連公開研究討論会がある
その意味でも、私は今では必ず日税連の公開討論研究会には参加するようにしている

このフロアーのデザインマークは上品な感じのするものだった

女性の方は、あまり近くまで入って写せなかったのでぼけてしまった

午後ちょっと行ってみたいところがあったので車を走らせた

内子座、大正年間に作られた歌舞伎小屋で住民がお金を出し合って株式会社として
運営されたものを、その後映画館などとして運営され、いろいろなことがあったが
歌舞伎小屋として再現して現在は浄瑠璃歌舞伎を上演しているようだ

そもそも、この内子という地区は木?(もくろう)の生産で財をなしたようで

そのためにこんな歌舞伎小屋を、それも株式会社として株主をつのって運営するところが

いかにも経済に通じた人が多くいたかと言うことだろうか

なかなかの造りである

これが「株式申込人名録」と書かれた株主台帳
脇に「株式会社内子座」と書かれている、詳しい説明を読むと社名は最初と少し変わったようだ

ここは舞台の真下、奈落(ならく)だ
舞台には回り舞台が作られているから、その仕掛けがここ
さらにせり出しになっているので
そんな仕掛けがここに作られている

やはり正統派は右からですよね

この内子座の回りは住宅地で道路の隣は住宅やパーマ屋さんなどが近接している

なんというのだろうか、涅槃像(ねはんぞう)というのだろうか
大きな石仏像があった、足の裏にはどこかで見たことのあるようなマークが書かれていた
そう、確かお寺からもらうマッチとかにこんなマークが書かれていたように記憶する

この内子という町の古い町並みを見学する

通りに、野菜などの即売がされていた

ニンニクだ

この唐辛子の色が鮮烈だった

自然の色はカラフルだ、豊かな色合いを自然は持っていると思った

「鏝絵(こてえ)」と書いてある

ここのオーナーが左官のコテで漆喰など、カベに絵を描くことをいう

この「こて絵」は長岡のサフラン酒の土蔵絵があるが
こて絵を描く職人がいないので維持管理はできないのだと聞いていた
そんな頭があったもので、こんなところにこて絵を描く人がいることに驚いた

通りの軒先にいろいろなものが置いて販売している

いまは
収穫の秋、いろいろなものが満ちている

中学校の塀も昔ながらの造りでおしゃれだ

軒先の大きな水瓶のなかにタップリの水を張り、水藻と浮き草のミドリを真っ赤な金魚が泳いでいる

自然の豊かな場所はカラフルな色に満ちている
柿色といえばこれですね

ここは内子から少し先の大洲というところ、白壁のきれいな町並みと言うことで

そこは「おはなはん通り」と名付けられている
観光案内所でここには何があるのかと質問すると
「おはなはん」の撮影が行われたきれいな町並みが見られますという
しかし、私は「おはなはん」の番組を見、知ってはいるが今の若い人にはわからないことだろうと思った
なにがおはなはんなのかと、ま、昔の人気TV番組の撮影現場ですということだろうか

このおはなはん通りのきれいな方をみれば白壁で良いのだが
反対側の建物の壁は崩れている、ヒビも入っている
先ほどの内子の町並みも、結構あちこちで白壁が崩れ落ちている
その崩れ落ちた白壁の上からトタンやらで覆っているから白壁の町並みは単なるさびれた町並みとなる

どうも聞くところに寄ると、この壁のひび割れと崩れ落ちは
「南海沖地震」なるものが影響しているようだ
地元の人の話を聞いていると「南海沖地震」なる言葉が出てくる
そういえば、長岡の中越大地震では土蔵が大きく崩れいていたことを思い出す
土蔵は火事には強いが地震には弱い

朝顔だ

土蔵にまとわりつくようにきれいな朝顔が咲いていた

スダチの緑が目にとまった

ここは明治の面影を残した町並みですとパンフレットには書いてある
しかし、その通りを見たら、なにやらみすぼらしい通りとしか思えなかった
カベや軒先も崩れかかっている
たぶんこの通りも地震で壁が崩れて、その修理費などの捻出(ねんしゅつ)に難儀して
そのままになっているのだろうか
観光と言ってもその維持管理が大変だと言うことだろうか
行政は立ち上げの時、補助金などで造ることはするが
維持管理となると対応が悪くなるということだろうか

町の中を流れる川で「う飼い」が行われるという
いまは時期でないのか、多くのう飼いを楽しむ観光客用の船が岸にあげてあった
地元の人に聞くと、長良川のう飼い観光と違って
ここのう飼いはじっくりとう飼いの様子をみせてくれ
ガサガサしていなくて落ち着いて風流で良いという

川の中州とでもいうのか、そんな場所にポツンとお城が建っていた
どうもこのお城も南海沖地震でだいぶ被害が出たようで、最近修復したようだ
なにやらポツンと建っている、松山城からくらべればかなり寂しいお城だ

ここの川は水かさが増すのだろうか、鉄砲水ということだろうか
川と町並みの間にはこんな高い堤防が築かれている
それともこれは城壁をイメージした観光用の造りなのだろうか

赤煉瓦の建物が目玉だという

たしかに洋館風の

赤煉瓦の建物は目立つ

これが町並み全体にあるのであればすごいのだが、一棟
これを見ると、明治大正期に結構栄えた、地元の産物が売れた時期があったのだろう

しかし、それも今となっては昔のこと
寂しい姿が現実の話なのだろう
時代の移り変わりをしっかり認識して対応してゆかねば生き残れないと言うことか

ここは佐田岬から九州大分方面を見たところ

潮が渦巻いているというか波打っているというか、潮の流れが速い

山の陰になっているが、灯台が見える、佐田岬灯台だ

こちら側が太平洋方面とでも言おうか、南側

何の葉だろうか、椿のように思えた

中央の先端部に佐田岬灯台の頭が見える
その右側が瀬戸内海となる、むこうが九州

その間の海は潮目が違うのだろう
地元の人に聞いたら、ここは鳴門の反対側だから渦巻いているのですよと、なるほど

車でやってこられるのはここまで、この駐車場から佐田岬を見る

まだこの先1.8キロもあるようだ

観光マップによれば、キャンプ場などもあると書いてある
しかし、ここは風の強そうな場所だと思った

私が十代の終わりに一人旅で高知県の足摺岬に行った覚えがある
そのときの思い出が今も記憶に残っており
今回、四国で大会があるということで行ってみたいと思った場所がここ

本当は、佐田岬半島はなだらかな砂浜が続く
道路を走っていると両側に海が見える
そんな平坦な道路をイメージしていたが
来てみてビックリ
まったく想像とはかけ離れた地形だった

山と崖の道が続く、こんな先端まで民家がある
どうやって生計を立てているのだろうかと余計な詮索をしてしまう
思ったよりも道路が良くなっていて
しかし、ここを通る人は同じ道を通って帰るしかない一本道

途中の港はフェリー乗り場となっていた

今日も、ホテルに聞いて紹介してもらった店に行ってみた
なかなか元気の良いというか、配慮が行き届いているというか
うるさいオヤジというか
気っぷの良いオヤジというか
楽しいオヤジというか
大将(オヤジ)がいる店なのだ

最後に、おいしいアイスクリームをサービスで出してくれた

夜の繁華街も大変にぎわっておりました、ハイ

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