平成17年8月4日(木曜日)
新潟の街の向こうに広がる日本海、佐渡島は残念ながら今日は見えない
どの時計を見れば良いのかわからない
車で向かった先は県北の朝日村
ここに日本100名暴の一つ、鈴ヶ滝があるという
場所はブナの原生林に覆われた場所だという
新潟県内には日本100名暴は二ヶ所しかないと聞く
車で行けるところまで行き、最後は徒歩15分だという
しかし、その徒歩はかなりの坂を谷底まで下りて行く
途中にあった滝は小滝といってそれではない
吊り橋を渡って沢の向こうへ
水は冷たくて気持ちよい
さびた表示板に、この吊り橋は一人ずつ渡るようにと書いてある
けっこうスリルがある
さていよいよ見えてきた
手前の標識に鈴ヶ滝と書かれている
見上げれば高い岩が見える
今の時期、水量はそんなに多くないようだ
頂上から水が二手に分かれる
そして、白いレースのカーテンのように下まで落ちてゆく
頂上の落ち口だ、水が跳ねている
岩肌が気持ちよさそうに濡れている
アワだったように滝壺に落ちてゆく
レースのカーテンだ
岩を染み渡るように流れてゆく
しかし、今日は暑い、滝の近くなら涼しいかと思うが
じつはさほど涼しくなかった
とにかく暑いが、下界にいるより涼しいとは思う
日差しが強いのだ
木漏れ日というより焼き切られた日差しと言う状況だ
私はやはりこの吊り橋はあまり得意でない
水の泡立ちが気持ちよさを誘う
葉っぱが焼け切れそうだ
シダが焦げそうだ
こんな森の中をこの電気自動車はエンジンの音もなく静かに
タイヤが道を踏みしめる音だけが聞こえる
公衆電話ボックスだという
田んぼの稲の緑が目に気持ちよい
村上と言えば鮭、せっかくだからと鮭関係の展示会館であるオシャギリ会館脇の観光レストランに入った
そこで、鮭の子のドンブリを注文して食べた、けっこうおいしかった
村上のまちなかの鮭関係のお店によってみた
店頭にロンドンタクシーが置いてあった、どうもこのお店の車だという
鮭をこうやって乾燥させながら発酵させているという
ここのお宅は旧家ということでいろいろなものが飾られている
奥の客間が見える
今日の目的は粟島に行くこと
粟島への高速艇に乗る
もっとも、この高速艇に乗るために事前予約が必要と言われて電話で予約して置いた
そのとき、聞かれたことは宿はどちらにお泊まりですかということと
住所と連絡先電話番号が聞かれた
なんで宿泊先まで言わなければならないのかと思ったが
そんなこと言っても始まらないと思い素直に答えた
この高速艇に乗るとき切符を買おうとしたら
窓口に往復切符はありませんと書いてある
基本的に料金は高めだと思った
高速艇に乗った、船室はガラガラだった
日差しが強い、波はない
粟島までは55分だという
船はそんなに揺れることもなくただひたすら走りまくっている
前方にうっすらと島影が見えてきた
そして、前方からフェリーが近づいてくる
だんだん大きくなる
けっこう大きめだと思った
これを見ると、海の上では右側通行なのだと思った
夕方5時過ぎでもまだ日差しは強い
意外に大きな島だと思った
山も高い
だんだん近づいてきた
港の中に入った
港にはパトカーが待機している
何かあったのだろうかと思ってみたが
特別な様子はなかった
今日の民宿から迎えが来ると聞いていた
若いお兄ちゃんが民宿の旗を持って向かえに来てくれた
我々の荷物を見て、ちょっと待ってくださいとどこかに走っていったと思ったら
三輪車で戻ってきた
ここに荷物を載せてくださいと言って動き出した
我々の乗ってきた船だ
なんと目的の宿は港から歩いて1分のところにあった
宿に入って二階の道路側の部屋に通された
窓の外を見るとちょうど役場方面から人が例の三輪車に乗って走って行く
たぶん、これがこの島の帰宅時間のラッシュアワーなのではないかと想像した
宿に着いたのが6時前
6時から夕飯だという
せっかくついたのに、もう夕飯を食べたら暗くなってどこにも行けなくなりそうなので
まずは外を見てこようということで
夕食前に散歩に出かけた
ここは粟島浦村という
この花が目に付く
防波堤が目に付くが、海水浴場があるという場所まで歩いてみた
とにかく、海岸という海岸は防波堤で護岸工事がなされているという印象だった
海水浴場に着いてみたら、なんとほんの一区画浮き輪で仕切られた場所が遊泳地だという
これは脱衣所と書いてあった
浜茶屋のようだがすでに閉まっていた
浜茶屋の営業時間を過ぎてしまっていたのだろう
歩いていると、地元の子供とすれ違う
みな「こんにちわ」と声をかけてくる
海に面した通りから一本奥の通り
ここは新潟地震の時に1メートルほど陸が上がったという
そうだとすると、今の海岸通は昔波打ち際で
この通りが村のメインストリートだったのではないかと想像する
家の小路を入って海岸通に出る
家々はみな昔懐かしい造りの家だ
途中、案内図があったのでみると「学校」と書かれた建物があった
どうもこの村では小学校と中学校という区分はなく、「学校」一つのようだ
たしかに「学校」は3階建てだっただろうか、立派な建物が立っていた
例の三輪車がどうもこの島の必需品のようだ
「おみやげ」と書かれた店をのぞくと、何でも屋さんだった、つりの餌、おみやげようお菓子、海水浴道具、ジュース、アイスなどなど
帰ってきて食事となった
なかなか豪勢な品数、鯛の塩焼き、刺身、等々
岩ガキ、これは実に「海のミルク」と言われるとおり、ミルキーな感じでおいしい
私一人で4個ほど食べてしまった
アワビが丸のまま火にかけられた
実に肉厚で食べ甲斐があった
こちらは刺身にしたアワビ、手前はキモだろうか
鯛の塩焼き