平成17年05月02日(月曜日)

物事の本質を考えるとき、それは古典に学べ

私が論文などを書いているとき、表面的な現象だけを捉えて論じてみても伝わるものがない
論文の中で「そもそも・・・」と始まる場面がないとその論文の重みが出てこない
なにか芯になるものがでてこない

では、「そもそも・・・」という言葉はどこから出てくるのかというと
物事の真理、常識、コモン、原理など色々な言葉で言われているが
根っ子になることが明確でないと、どうしても自分の考えがぶれる

物事を考えはじめたら「そもそも・・・」ということを考えはじめるところまでたどり着かないと
それはなにやら薄っぺらい世界となってしまう

色々な本を私は読むが、流行の本は物事の表面的な現象を捉えることにたけている
なるほど、と思うとらえ方をしている
古典というより、人が良い本だという本は、なるほど物事の神髄を伝える深みのある本が多い

最近ある本を読んでいたら、お勧めの本としてあげられていた書籍があったので
早速、アマゾンで注文したら今日届いたので読み始めた
その本は
「正法眼蔵」道元著、「修身教授録」森信三著の2冊だ

道元は1200年に生まれた鎌倉時代の宗教哲学者と紹介されている。
その代表作がこの「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」だ
その最初に、まず書かれていた

「諸々の自然の事物に自我はない。人の自我も幻想である。人は誰であっても自己であるほかはないのだが、自己という意識は幻想である。迷いも覚(さと)りも、覚り得た人々も、覚り得ない人々も、生も死も、すべては空(くう)である。諸々の存在現象の本質は空であって、実体ではないのが存在現象の本質である。」(道元著「現代文訳 正法眼蔵 1」21頁、石井恭二訳、河出文庫)

全ての本質は空(くう)だという、自我は幻想であるという。

もう一冊の森信三は京都大学哲学科出身で
あの日本を代表する哲学者、「善の研究」で知られる西田幾多郎の教えを受けた人物

「自分は人間として生まれるべき何らの功徳も積んでいないのに、今、こうして牛馬や犬猫とならないで、ここに人身として生をうけ得たことの辱(かたじけな)さよ!という感慨があってこそ、初めて人生も真に厳粛となるのではないでしょうか。」(森信三著「修身教授録」21頁、致知出版社)

この連休は、読みたいと思ってためてある書籍をじっくりと読みたいと思っている

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