平成17年4月9日 やすよ通信
4月9日(土)、久しぶりに山古志の我が家へ一時帰村することとなった。そんな私は数日前から花粉症なのか風邪なのか鼻水が止まらず、そして夕方近くになると熱が上がるような状態で体調が万全ではなかった。しかし、どうしても帰りたい一心から、金曜の夜は先輩からの飲み会を断って早々に布団にもぐって休んだ。新長岡市となって初の我が家となった。
001 午前8時30分、もう少しで山古志というところに到着した。ゲートを抜ける前の検問を受ける渋滞だった。やはり土曜日ということもあり、多くの人が一時帰村の登録をしたようだ。この道は国道291号線。除雪はきちんとされていた。
002 ゲートが近づいてきた。委託を受けた民間の警備会社の方がチェックをしていた。事前に登録した車のナンバーと搭乗者名簿をチェックしての入村となる。ここは小千谷市との境界線となる。この検問の他に、県警のパトカーが随時村内を巡回している。左に見えるのが我が家。
003 だんだん天気が良くなってきた。家の前の雪を近所のおじちゃんがパワーショベルでどかしてくれた。これで荷物の出し入れが楽になった。
我が家の敷地内にあった自動販売機とその小屋は、雪の重みも加わって倒れかかっていた。裏山も雪と一緒に崩れた範囲が広がっているようにも見える。この裏山は今月末から工事が始まるということだ。
004 我が家の前の道から撮った画像。国道には雪がないが、回りにはまだ多くの積雪が残っている。我が家は自宅に車を横付けできるが、もっと奥の集落では雪上車や徒歩でしか帰村できない集落もある。この雪がすべてのものを隠している。雪が完全に消えないうちはすべての被害状況は把握できないのだろう。
なんとなく気分が落ち込んだ時には「なんで自分の住む地域がこんな目に遭ってしまっ
たんだろう」と思うことがある。大げさかもしれないがこの地震で人生が良くも悪くも変
わってしまった人もいるだろう。だから、これが他の地域だったり100年後だったりすれ
ば・・・と考えてみるがスッキリしない。どんどん突き詰めていくと「やっぱり今この地域で良かったんだ」という結論に達する。人との繋がりの大切さ、郷土を愛する心、誰かに助けられながら生きている自分に気付くことができる。そんな気付きを今のこの時代に、今この地域から発信していく理由があるからこそ起きた地震なのだと思う。そんなふうに受け止めていくことで私の気持ちも楽になったり元気になったりする。
4月11日(月) 川上恭代