「地震の記憶が消えないうちに」

10月25日(月) その3

上空を飛んでいたのはおよそ10分位だっただろうか。長岡市の大手高校グラウンドにヘリが着陸した。扉が開くと数人の自衛隊や警察の人に支えられるように降りた。誘導に従いながら砂ぼこりの舞うグラウンドを進んでいくと、家族や知り合いの姿を探す人たちがたくさんいた。その中に、父の姿と妹のようにかわいがっていたすぐ近所の子の姿を見つけた。みんなで駆け寄り抱き合って泣いた。

 

 

 

以上が、地震当日からヘリで避難されるまでの私の三日間だ。それからは先生のHPで紹介されている通りの避難所生活や仮設住宅暮らしをさせてもらっている。避難所生活は2ヶ月間、仮設での生活はもうすぐで1ヶ月が経とうとしている。ここまでの間、本当に多くの方々からの励ましや援助やご協力のもとに過ごさせてもらってきた。「感謝」とか「ありがとう」という言葉しかみつからない。それがもどかしくもある。

 

山古志村では現在、3メートル近くの雪が積もっているという。休日になると雪降ろし隊として登録した人は集落に戻っていく。どんなに雪が積もる地域でも、みんなが愛する故郷なのだ。近所の人が集まると「仮設では何にも不自由はないけれど、やっぱり山古志に帰りたいねぇ」といつも話しが出る。我が家の会話の中でも「山古志」という言葉が出ない日はない。朝、東山の方を見ながら通勤していると感じることがある。帰りたいのは人間だけでなく、山や草木、畑の土や小さな虫たちも私たちの帰りを待っているのではないかと・・・

 

 

 

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以下は平成16年10月25日午後、長岡大手高校校内にて撮影の写真です

左手前は近所のお嬢さん、中央が本人、右はお母さん

無事生還して会社の玄関前にて

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