平成17年2月1日(火曜日)

今朝は、昨日より確実に雪の量が多くなっている

非常階段も雪に埋まっている

長生橋が見えるどころではない

ファファハァハーー、これが何かわかるかね君
などといっても解るわけがない、これは薄く膜状になった雪のカベ越しに外を見た写真です、ハイ

駐車場の雪
一晩中雪がハラハラと積もっていたため
消雪の水が出ていたところは雪が無く
水が流れていない場所に雪がたまっている状況だ

一晩で車が埋まっている

駐車場から見た、千手小学校の駐車場の除雪をしている人の姿

マンション近くの除雪風景

我が社の朝の除雪風景、とにかく除雪しなければ駐車場に車を入れられない

ようやく除雪を終了して建物の中に戻ってきた

これは私の足、除雪で長靴が雪だらけ、消雪の水でズボンも濡れている
ま、こんな状況で、今朝は月初の全体朝礼なのだが全員がそろわない
まだ会社までたどり着かない人間が数人いる
私は予定があるからとにかくいるメンバーだけで全体朝礼をやってまちなかへ

今日は私は無料納税相談会場の責任者ということで一日相談会場で相談員
会場には相談員が10名ほど、うち4名は長岡支部以外の先生が地震関連で相談が増えるだろうと応援にきてくれている
今日はここの会場がオープン初日ということで大勢の形が相談に見えるかと構えていたが
この大雪で在来線が止まったとか高速道路が通行止めになったとか
はたまた、公立学校は授業開始を遅らせ、早上がりにしたとかとニュースが聞こえてくる
地震の次は雪害ですか、という状況になってきた
そんなことで、午前中にある程度の方がお見えになったら
午後は閑散としたものになった

昼食時間にまちなかの中心地、大手通の交差点を見るとすごい雪

ここが長岡の一番の中心地なのだから驚きだ

まちなかは車がけっこう渋滞しているようだ

アーケードを高くしたものだから雪が吹き込んで、アーケードの中でもコウモリをさす

風が強いわけではないので、とにかくハラハラとハラハラと天から雪が降ってくる

あっという間に車の屋根は雪の山

チョット止めておくだけでもどんどんと雪が積もる

アーケードのないところを歩けば頭の上は雪で真っ白になる
この方は一緒に食事に出かけた長岡支部の税理士先生だ

山水のモノクロな世界で、このようなにぎやかな色を見るとホットする

大手通交差点越しに長岡駅を望む、望んでも雪で駅はかすんでしまっている

これは反対側、大手大橋方面を見た写真
まだこの時は渋滞していないが、夕方になったら大手大橋から長岡駅まで完全に渋滞して、というより固まったように車がつながり
長岡の町の中は大渋滞となってしまう

横断歩道を渡ると消雪パイプの水が雪が多すぎて水はけが悪くなり
道路はビチャビチャで長靴でないと歩けなくなっている

ここは大手通のアーケード、昼食時間だというのにほとんど人が歩いていない

大手通アーケードの雪

午後は結構暇だったので同じフロアーでやっていた展示物を見学していた
「女性の暮らし写真展」として2月1日今日から2月9日まで市民センター2階フロアーで開催している
そこの写真を見ていたら結構おもしろかったし貴重な写真だと思ったので記録用にと何枚か写させてもらった

これは長岡女子師範学校でスキーの授業をやっている写真だ
明治のスキーは一本の竿のようなものを持って、まるでサーカスの綱渡りのような雰囲気で滑っていた
説明によると明治44年頃だという

これは角巻(かくまき)
私が小さい頃は女性というより着物姿の防寒コートとして当たり前のものだった
例の、川端康成の「雪国」に出てくる駒子も着ていたものだ

この方は杉本鉞子(えつこ) 1872〜1950
もと長岡藩の武士の娘で、米国在住の日本人に嫁いでアメリカに渡り、アメリカで日本の生活を紹介し
そんなことを書いた本が日本語に翻訳され「武士の娘」という本になって有名になった人だ

インターネットを検索したらこんなことが書いてあった
「 異色の存在は、日本女性講師第1号の杉本鉞子(えつこ)。長岡藩家老の娘で、大正の末(注・1920年)にコロンビア大学で日本語と文化史を講義した。 教壇も和服で通し、『武士の娘』(自伝的英文小説)を在米中に刊行した(注・1925年)。長岡の郷土史家青柳保子は『当時の日本人の質の高さを思わせ、今も学ぶことが多い女性』と評価する」。 さて、前出『武士の娘』は、そのころ日本紹介の上から全米ベストセラーになり、世界8カ国で翻訳出版された。(教育情報新聞の書評「サムライの娘」より)

これは昭和30年頃の長岡駅前から大手通を見た写真だという
空襲で焼け野原となった長岡が10年で大きな広い道路を整備してアーケードもできたと書かれている
駅前に復興の象徴平和の象が真ん中に置かれている
そう、私の小さいときは確かに長岡駅の前に両手を広げた母子像が置かれていたことを思い出す
確か今はこの象、平和記念公園に移されていると記憶している
そうそう、なんでも、長岡空襲60年を迎える今年
生命を未来につないでゆくイメージの母子像を作ろうという活動をおこなっているから募金活動にご協力を
ということでお話を承っている

これも昭和30年頃の長岡駅前の様子だという

これはチョットふるい写真で大正か昭和初期で呉服町1にあったという
活動写真館「電気館」だという、前の堀割(下水路)は柿川に流れ込んでいたという

これは昭和18年、戦時中の写真で軍需工場で
女学生も働いていたときのものだそうです
この写真を見て思うのは、いわゆるロイド眼鏡というのだろうか、みな眼鏡が丸いのが印象的だった

さて、納税相談会場に戻ってみると、いろいろな張り紙が目に付いた
この会場は「税理士会」が県内はもとより県外の先生からも応援をいただいていることをPRしている張り紙だ

しかし、ほんと、大雪で人の足が止まってしまった、午後からは人手はパラパラという状況

会場に張ってあるスローガン「がんばろう中越!私たちも応援します」

会社に電話して迎えに来るようにと言おうと思ったらメールが入った
車の屋根の除雪が間に合いませんのでタクシーで帰ってきて欲しいと
そこでタクシーを呼んだら「お時間掛かります」と、まちの真ん中で昼間タクシーが来ない、なんたること
やっと来たタクシーに乗って解った
長岡のまちが固まっている、長岡駅から大手通を通って大手大橋へ、このラインが固まっている
動かない、このおかげで大手通を横切る動線がまた動かない
タクシーの運転手が言っていた
「川西には行きたくないですね、いつ戻ってこられるか解りませんからね、この渋滞見て下さいよ」

会社に戻ったら、社員の車がみな雪の中

半日でこれですよ

消雪パイプの水が流れているところしか雪は解けていない

隣のローソンの駐車場のフェンスが雪でカベになっている

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