「地震の記憶が消えないうちに」

10月25日(月) その2


 先に並んでいた他の集落の人たちが順に、プロペラからのものすごい風を受けながらヘリコプターに乗り込んでいった。杖を突かなきゃ歩けないようなお年寄りは、自衛隊の人や役場職員が抱えてくれていた。そんな姿を見て、昨夜腹を立ててしまったことを反省した。まして役場職員の人たちは、自分の家族そっちのけで私たちのために動いてくれているのだ。申し訳なかったと思った。

小学校まで歩いてきてから3時間ほど経った頃、ようやく私たち集落の順番が近づいてきた。そして私の番がきた。グラウンドにヘリコプターが着陸し、一人の自衛隊員が手招きをする。それが走り出す合図だった。次の番に並んでいた人たちに「下で会おうね」と手を振って別れた。私がずっと手を引いていたおばあさんは、自衛隊員がおんぶしてくれた。みんなでヘリコプターに乗り込んだ。

ヘリの中は座席がなく、6畳ほどの空間だった。私はすぐ窓際に腰をおろした。乗り込みが完了すると上空に上がり始めた。小学校の上空まで上がると長岡方向に旋回し進み始めた。窓から見下ろす山古志村を見て息を呑んだ。ひどかった。悲惨だった。あらゆるところで地滑りや山崩れがおきていた。山肌が削られて茶色になっているくらいならまだいい。山がなくなっているところもある。棚田や錦鯉の池も崩れ落ちていた。倒壊している家もあった。一つの集落がまるっきり崖下に崩れ落ちてしまっているのも見えた。そんな惨状を見ていたら涙が溢れて止まらなくなった。三日間くらいで帰ってこれると思って乗り込んだヘリコプターだったが、とてもすぐには帰ってこれないことを知った瞬間だった。


「小千谷市小栗山地区の「目滝トンネル」を抜けた道」だという。 (11月23日撮影)

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