「地震の記憶が消えないうちに」

10月24日(日) その3

 その日はこの秋一番の最高の天気になった。それが気持ちを前向きにもした。3つに分かれて避難した集落の全部で炊き出しをしようということになった。集落センター前にお米や漬物や塩や味噌を持ってみんなが集まった。湧き水が無事だった家がありそこから水を汲んできた。センターのプロパンガスと炊飯釜が無事だったので外に運び出し、ご飯を炊いておにぎりを作った。

その頃ラジオでは「山古志村とは依然連絡が取れないため現在自衛隊が向かっている」「陸の孤島となっている」「山古志村でも犠牲者が出たもよう」と伝えてきていた。上空には何機ものヘリコプターが飛んでいた。自衛隊や報道関係と思われるヘリコプターのラッシュだった。事故が起きないのが不思議なくらい飛んでいた。そして娘を探しに行ったおばさんは、無事だった娘と一緒に戻ってきた。みんなで抱き合って泣いた。


「 ここは目滝トンネルの手前の道。地震の翌日、私は小栗山の母の実家が心配で行ってみようと思いここまで歩いてきた。その当時はこの道路はなくなっていて向かうことができなかった。それなのに歩道を使っての仮道路となっていた。」だそうである。(11月23日撮影)

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