「地震の記憶が消えないうちに」

10月24日(日) その2

外が明るくなり始めた。私も母も少し眠ったようだ。車から出てラジオをつけた。至るところで道路が寸断されていると伝えられていた。そして隣りの川口町や小千谷市では犠牲者が出たという。犠牲者やけが人のいる地域には陸路からは行けないため自衛隊がヘリコプターで救助に行くと伝えていた。犠牲者が出た地域では、助けを待ちながらどんな思いでこの夜を過ごしたのかと考えると涙が出てきた。

周りが明るくなって見えてきた私の住む集落は、道路の地割れや山崩れがひどかった。そしてここから見える他の山もあらゆるところで崩れていて山肌が茶色になっていた。山が変わった。本当に大変なことになったんだと実感した。

だいぶ日が昇ってきた頃、小千谷方面から人が歩いてきた。それも胸まで泥だらけになりながら歩いてきた。話を聞くと、小千谷市浦柄地区では土砂で堰き止められた川が道路に溢れ出して水害のようになっているというのだ。それでもその人は家族や家が心配だから大人の胸まである泥の中を漕ぎながら歩いてきたという。私たちはお菓子やみかんをその人に食べるように進めた。それからも何人かの人が泥だらけになって歩いてきた。そして昨夜、出かけた娘を心配していたおばさんは「娘を探しに行ってくる」と泥に入る覚悟の支度をして向かっていった。


「小千谷市浦柄地区、泥につかってしまった家具類の山」だそうである。(11月23日撮影)

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