「地震の記憶が消えないうちに」

10月24日(日) その1

夜中の12時半。ラジオからようやく「山古志村」の名前が出てきた。待ちに待った内容は「地震直後から山古志村との連絡がまったく取れていない」というものだった。なんとなく絶望的な気持ちになった。

ちょうどその頃、上空をヘリコプターが飛び始めた。思わず立ち上がりヘリコプターに向かって手を振ってみた。ヘリコプターは低空飛行でライトを照らしながら飛んでいた。「おーい、おーい」と何度も手を振り、そして懐中電灯も振ってみた。しかし私の姿が見えているとは思えなかったし、しばらく上空を旋回すると山古志の奥の地域へと飛んでいった。

「明日からどんな一日が待っているかわからないから、それぞれ車の中で仮眠しよう」ということになった。私は母と一緒に毛布を持ち込んで車のシートを倒した。しかし、なかなか寝付けなかった。寒さと空腹、そしてこれからどうなってしまうのかという不安でいっぱいだった。


「我が家のすぐ先にある間内平橋。下の川を流れられなかった泥や流木などが、この橋の上にもまだ残っていた。」とのことだ(11月23日撮影)

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