「地震の記憶が消えないうちに」

10月23日(土) その6

「今度は外部の情報を得よう」ということになり、近所のおばさんが家からラジカセを持ってきてくれた。みんなで必死にラジオの情報に耳を傾けた。流れてくる情報で新潟県内ではかなりの被害が出ていることを知った。『県外にいる妹や親戚は相当心配しているんだろうなぁ』と気になった。そして山古志村の情報がまったく流れてこないことも気になった。

しばらくすると「震源地は小千谷」とか「震度6」とか「新幹線が脱線した」とか言い始めた。同じことを何度も繰り返すラジオの声。「山古志村は一体どうなってるんだ」と誰かが言った。不安になった。

みんな夕飯を食べていなかった。余震の合間に家に入り、炊飯ジャーを持ってきておにぎりを握ったり、お菓子や果物を持ちよりみんなで分けあって食べた。そのうちラジオから「小千谷の妙見で土砂崩れがあり、数台の車が埋まっているもよう」とのこと。すると近所のおばさんが「うちの娘、地震の15分くらい前に車で長岡に向かったんだけど巻き込まれてないよね」と心配そうにつぶやいた。「大丈夫だよ」と言うこともできず沈黙が続いた。

しばらくすると「心配だから、歩いて見に言ってくる」とおばさんは言い出した。色んなやり取りがあったが誰も止めることができず、そして私がそのおばさんについていくことになった。


「我が家の台所。地震直後、一度父が一時帰宅して片付けていたため、それほど散乱はしていない。この日、割れた食器類を片付けた。」(11月23日撮影)

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