「地震の記憶が消えないうちに」

10月23日(土) その5

  色んなことが頭に浮かんできた。長岡で仕事中だった父は無事なのだろうか?震源地はどこなのか?職場は?妹は?友達は?と次から次へと色んなことが頭の中をぐるぐる回っていた。そのうち、同じ集落で家族ぐるみで一番仲良くしているおじちゃんが数人で駆けつけてくれた。「父ちゃんはどうした?仕事でいないのか。だったら俺たちはこれから、間内平(マナイヒラ・私の集落名)を一件一件回ってくる。そして年寄りは集落センターまで連れてくるからな」と言ってくれた。今年、うちの父は区長の役をさせてもらっていた。その父が不在ということで近所のおじちゃんが先頭に立ってくれた。母と二人ではどうにもならない。涙が出るほどホッとした瞬間だった。

私の住む集落は26戸。大きく分けて3つに分けられる。国道沿い、坂の上と下の3つだ。私は国道沿いになる。その国道沿いの数件はみんな私たちのいる拡張工事中の道路部分に集まり始めた。一人のおばあちゃんは下駄箱が倒れてしまったため靴を履いていなかった。私は自分の家まで戻り、母の冬用のブーツを持ってきて履かせた。そして父の同級生であるおじさんも裸足だった。また家に戻り、父のサンダルを持ってきた。そのうち、集落をすべて回ってきたおじちゃん達が戻ってきた。「この集落では大きなケガをした人はいないようだ」。みんなでホッとした。そして、坂の上の数件の人たちは、無事だった倉庫にみんなで避難することにした。そして坂の下の数件は集落センターが危険のため、その近くに置いてあった工事現場で使うプレハブに避難することにした。そして国道沿いの私たちは今の場所で避難を続けることになった。避難がほぼ済む頃には、家族全部が不在の家、そして仕事から帰ってきていない人、買い物等で出かけてていない人がほぼ把握することができた。そんな間にも時々強い揺れが襲ってきた。揺れる前には地鳴りのような音がする。私はそのたびにその場にしゃがみ込んだ。


「 我が家を小千谷方向に向かって見た風景。真中の道は今現在の道。右の白い建造物は、新しい道路用につくられたもの。隙間ができてしまっている。ヘリで非難するまでの間、私たちは近所の人たちとこの白い壁の完成前の道路部分に避難していた。」(11月23日撮影)

前へ

次へ

目次へ