平成17年1月16日(日曜日)

弥彦神社にお願いした祈願花火で、これはそのうち上げた花火と同じもので
なんでも打ち上げた花火を一望できる奥の院に持ち込んで祈願したレプリカント、だそうです

テレビで吉永小百合さんのインタビューが流されていた
内の家内が昨日この吉永小百合さんに長岡で直接お話をさせて頂いたので関心を持って見ていた

昨年、長岡商工会議所の女性会創立1周年か何かの記念講演に
この吉永小百合さんに長岡に来てもらおうと 企画があって動いていたが
結局実現しなかった
そんな折、地震が起きたときに、ぜひ被災地の皆様へというようなメッセージだけでもいただけないものかと女性会が動いた
そうして、その結果、色紙に激励のメッセージをもらうことができ、さらに映画の封切りの挨拶に長岡においでになる
ということになり、そして昨日の吉永小百合さんに直接ご挨拶する時間を持つことが実現した
そこで、内の家内が女性会の会長を務めているものだから、ご挨拶するチャンスに恵まれたということだ
ま、いろいろそのときの話もあるのですが、今日はこの程度にしておきましょう、ハイ


昨日から私の妹が子供を連れて震災見舞いに訪ねてきた
というより、震災見物が実態なのだろう
結局、両親共々あちこち震災関連場所に私が車で案内することになった

まずは長岡操車場跡地の仮設住宅に連れて行った

行ってみたら住宅地の中は消雪パイプも消雪用井戸ポンプもないものだから
仮設住宅内の通りは雪道でワダチができていてチョット大変な状況になっていた

そこから豊田町、花園、長倉へと車を進めた

秋口は銀杏並木で黄色に染まっていたこの並木も今は白に埋まっている


左は1月15日、今日写した写真で右は11月1日に写した同じ通りの写真だ

長倉の被災されたお宅は、大改造が進んでいる

これは悠久山プール前、蒼柴神社参道入り口の様子

国体用に新しく競技用プールが作られる予定地あたりからお城の方を写そうと
カメラを向けたがよくわからなくなってしまった

ここは、市営スキー場の入り口、ここから先は除雪してないから車では入れない
看板には地震被害でファミリーランド、スキー場、テニスコートなど使用できなくなっているので立ち入り禁止というようなことが
書かれている

これは長岡市の斎場、要するに焼き場、ここの煙突が折れたというので寄ってみた
たしかに煙突のところにはシートが張られていた
ということは現在使われていないのだろうか
少なくともこの日は使われた気配がない
屋根の雪は下ろされていた

高町団地に上がってみた、正面の登り口は修復され通行できるようになっていた
団地に上がって団地内を走ると
「あきゃ、何も壊れていないじゃないか」などと親父が言う
そうなんですよね、皆高町団地は悲惨だと聞いているものだからイメージだけが1人走りしてしまう
団地の中で悲惨なのは団地のふちの部分にあたる場所が悲惨なので、団地の70%〜80%ほどのお宅は
「思ったより」被害が少ないわけで
上の写真のようなお宅は、団地のふちにあたるお宅で、家が傾き、障子は破れ、シャッターは外れてしまっている
家の方は他に避難されているのだろうか、このお宅の前は雪が高く積もって除雪もされていない


右の写真は11月22日に写した同じ場所だ、赤い煉瓦は前方のお宅の煉瓦で、今は雪に埋もれて見えない
家の前方にある右に傾いた木を見てもらえれば同じ位置だとわかると思う
この木が右に傾いた原因は、その先で土砂が全て滑り落ちた、ついでに車も滑り落ちた場所だからだ
下の写真が同じ11月22日に写した、先のお宅のところから下を見たところの写真だ

一番先のお宅は全壊だから避難されたのだろう
誰もすでに住んでいないことと、危険なためなのだろう、除雪車は一軒手前までで終了している

長岡の高町団地から一気に車を進めて川口まで走った
川口の国道から一本住宅地の中に入ったら雪がうずたかく積まれている、というより、よく見ると建物が中に見える
放置されているのだろうか、除雪もされていないところもあるようだ

川口の駅前通りだ、寒々とした状況だ

駅の字が傾いているのが実に被災地らしくて良い

しかし、地震直後の11月7日の写真と見比べると
駅の字は余震だろうか、あとから傾いたと思われる、それに越後の越の字は付け治されたようだ

駅前で小型除雪車で軽快に作業している人がいた

駅の構内に張り出されていた案内
12月27日から運転再開という通知

さらに、時刻表は12月27日から1月16日までの臨時時刻表となっているようだ
ちょうどお昼の時間だった

川口のまちの中を少し走ったら、今日は地域の神事「さいのかみ」の行事が行われていた

昨年の神棚に飾ってあったしめ縄や、御札などを燃やす
その火でするめを焼いたり餅を焼いたり

おもしろそうだと思って車を降りて輪の中に入っていったら、よそ者が来たということか
私が行ったらみなじろじろ見ていたが、女性が入っていったら、ほら、この通り、サアサアどうぞどうぞとミカンを山盛りお裾分け

会場の入り口には祭壇ができてしめ縄が張られていた

御神酒も飾られ

入り口には「奉納」と書かれて門柱も雪で作られていた
なお、奉納の文字は右の門柱に「報」、左の門柱に「納」と書かれていた

雪の門柱の上には火がともされていた

左の建物の前に見えるのが、「奉」の字が書かれた雪の門柱だ

ふと後ろの山を見たら土砂崩れで山肌が削られている
どこかで見たことがあるような景色だと思ってみたら、我が社の川口出身の社員が写した写真の景色のような気がしてきた
これは11月7日に我が社の社員が写した川口の写真

田麦山地区に入るのは12月6日以来だ

深い雪で壊された家のあとは包み込まれて何もわからなくなっている

パット見た目にはただただ雪の多い地域というだけである

しかし、よく見ると家は折れ曲がったり

何とか残っている家でも障子やカベのひび割れなど残されている

こちらのお宅もサッシ戸が締まらないのだろうか
建物の外壁も壊れたまま、すでに避難されたのだろう

深い雪景色だけを見れば静かな山村だ

田麦山地区からの帰り道
山を見ると削り落ちた地肌の上に雪が布団を掛けたように覆われている
ひと冬、雪の下でゆっくり養生するように、雪の布団が掛けられているのだろうか

あちこちの山肌は、折れたり傾いたりしている木々で
土砂崩れのあとがうかがわれる

川口から小千谷に入ってまちなかからチョット脇にはいると
取り壊された家の上に雪が積もっていた

悲惨な姿を寒空の中にさらされているお宅

ここは、戊辰の役の時に長岡藩の河合継之介が
官軍の大将と会見した場所で有名なお寺だ、このお寺も今回の地震でだいぶ被害を受けたと聞く

立ち入り禁止となっているため雪に埋もれてしまっている

ちょうど、地震の数日前に私は地元税理士会の集まりでここや妙見の土砂崩れ現場近くを見学していた
そのときに写した写真がある、10月19日撮影
 


ここがこのお寺の中の河井継之介と官軍の大将が会見した部屋だという、その前でボランティアの解説員の説明を聞いている

桟(さん)に掛けられていた河井の絵

長岡の妙見と小千谷の境にある古戦場跡、榎峠古戦場パーク
右の写真の中央に大型トラックが走っている白い積み木のようなスティック状の車が見える
その車のすぐ上になにやらうっすらと斜面の登り口のような右上に向かう道のようなものが見える
そう、その登り口に左の看板が立っている
昔、ここを長岡藩の兵士が登って官軍に攻め入るのが対岸、すなわち写真を撮っている位置となるのだろうか
対岸から見えたので、官軍は大砲を撃ち込んで攻撃したと言う
今回の地震でちょうど官軍が大砲を撃ち込んだ場所からこの古戦場パークの右側の位置というか
先ほどのトラックのすぐ先が土砂崩れとなり、例の子供と母親が生き埋めになって男の子だけ助け出された場所だ
そこをめがけて今回の地震騒ぎの時は強烈なサーチライトで照らし出されていた

11月6日の夜、サーチライトで照らし出されている土砂崩れ現場

 

だいぶ話が脇にそれてしまったので元に戻すと
この写真は、そのお寺のとなりのお宅もだいぶ被害を受けたようだ

小千谷のジャスコ正面玄関はガムテープで補修されていた
聞くところによると二階の駐車場部分のカベが壊れてしまったようだ、結局現在この建物は使われていないようだ

そう思って駐車場の反対側を見たら
プレハブ作りで臨時店舗として業務を続けているようだった

小千谷でそばでもと親父が言うものでそう思って走っていたが
日本そばも良いけど、寒いし、そうだ美味しいラーメン屋さんがあるからそこに行こうと提案したら全員賛成ということで
行列のできるラーメン屋さんに入った
とにかく、ここはいつ来ても行列ができている
味は濃いめだ、一番人気は醤油ラーメンだという

このラーメン屋さんの駐車場を見たら、消雪パイプのパイプの穴から水が出ずに
パイプの端から水があふれていた
よく見ると、消雪パイプも地震で壊れたようだ

小千谷から山沿いを走って朝日山酒造までたどり着いた

朝日山酒造の向かいにある系列会社の売店でおみやげを購入

そんな中に、「かんずり」も取り扱っていた
もっとも、「かんずり」は上越で作られているもので
たしか場所によっては大きなスーパーでも取り扱っていたと思う

ま、薬味でしょうかね

ここは越後丘陵公園、入園料、駐車料、無料と書いてあった
子供達がスキーをもって丘陵公園の中の斜面で滑っていた

ここはすばらしい施設がそろっている
たしか以前、ここのことを書いておいたと思うのでそちらも参考にして欲しい
2003年8月16日「国営越後丘陵公園」

ここはニュータウンの3カ所ある山古志村の仮設住宅の中の
丘陵公園入り口に近い場所に建てられた仮設住宅だ

他の仮設住宅と比べると
家の間隔がゆったりと作られており、宅地造成地だから道路もしっかりして
ここが一番良さそうな場所だ

ようやく新潟県中越地震の見学ツアーを終えて長生橋を渡りかえることになった
時間にしておよそ4〜5時間ほどでしたでしょうか
解説とスライドなどをあわせてやれば、地震のすごさを訴える見学会をやれますね
ただ、被害にあわれておられる方がそこで生活をされておられるので
あまり冷やかしでは失礼に当たるので気を付けないといけませんね

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