平成16年11月22日(月曜日)2 晴れ 高町団地

被害が大きかったという高町団地の正面登り口は通行止め

他の道があるというので走っていたら、団地の南側からの登り口があった
この団地は小高い丘の上にあり、ある業者が開発した場所で、今回被害の大きかった場所は団地の外縁部の土地が大きく崩れている

団地の高台に上がったら、団地の外縁部は皆、この写真のような状況だ

このお宅は、団地の端にあり、高台から長岡のまちが一望にできて見晴らしの良い場所にある
しかし、ごらんのように家が傾いて、窓や障子も破れ、建物の外壁はバラバラになっているようだ

団地の南端に回ってみた、そこには危険と書かれた小学校のPTA作成看板があった
たぶん、この先の木橋や山道が危険と言うことだと思う、事実、地震で橋が凸凹しているようだ

その危険看板の右奥を見ると案内掲示板が根こそぎ倒れている

 

その看板向かいにあるお宅は大変な状況になっている
窓のサッシは曲がってはずれないのだろうか、家の前には赤紙が危険と書いて張ってある

そのお宅が右角にみえ、その前の道は右に引っ張られたようになっている
電線も何かおかしいと思いながらそこまで行ってみると大変な状況になっている

道路が無くなって車が一台坂の途中で引っかかっている

電信柱の根元から根こそぎ持って行かれて崩れ落ちた状況だ

この高町団地への入り口には「地割れ注意」と表示された看板が立てられている

 

桃源郷

今思うと、地震の翌日はあちこちで停電していて信号は点いていなかったが

交通事故は目にしなかった

道路はあちこち陥没していたり、マンホール飛び出していたりでスピードなど出せる状況でなかった

道路の状況や周りなど見ながら、自分の目で確認しながら一歩ずつ歩くような感じで車を運転していた

たぶん時速2〜30キロで走っていたのだろうと思う

交差点に来ればお互い注意しながら譲り合いの精神で進んでいたし

交通量の多いバイパスでも信号が点いていなくてもそんなに混乱無く道路を譲り合っていた

全てがゆったりとした自分の体のリズムにあった、というより自然のリズムに合った動きをしていたような気がする

だから素直に驚き、素直に考え、素直に感じていたように思える

それからしばらくして、道路が段々直り、県外車が入り込んできたときから何か違う金属で切り裂くような

異文化が、土の文化に鉄の文化が入り込んで支配してしまったような、そんな感じを持ったのを記憶している

俺は忙しいのだ、時間までにこの物資を届けるのだ、どけどけ、何トロトロ走ってるんだ

というような雰囲気で鋭角に走ってくる

まるで刃物が走ってくるような恐怖を瞬間感じて、次の瞬間

飛び込んできた鉄の文化に負けまいと思い、自分もまた早いリズムに乗るように切り替えた瞬間、今までの夢のような

桃源郷のようなゆっくりと流れている世界が幻のごとく消えてしまった、そんな不思議な経験を思い出す

 

今、気になっていること

昨日の新聞に、新潟県に集まった義捐金が100億幾らの金額で、それを一部損壊の家庭でも最低5万円

全壊などの家庭では2百万円ほど配布されるらしい

これは新潟県に集まった義捐金ということだから、長岡市に集まった義捐金もあるのかもしれない

長岡市に集まった義捐金はどのように対処されるのだろうか

私は気になっていることがある

それは「米百俵の教え」だ

長岡市が米百俵の教えをあちこちで宣伝している、小泉首相の所信表明に盛り込まれて以来有名になった

その長岡が、今回の震災で集まった義捐金を単にばらまいたとなっては笑いものになる

将来の長岡のために、将来の人々のために、今回の地震を教訓として、人として何を考え何をすべきか

単に防災、防災というのではなく、今回の地震は、自然に逆らって人間がわがままなことをやったことへのしっぺ返しのような気がする

そんな考えの中で、これから何を考えてゆかねばならないのか、人と自然の調和をどうして行けばいいのか

中央主導の発想でなく、新潟は新潟の自然の中で、人と自然の調和を生み出す方法を考え実現してゆく

そうすることが自然と向き合って生きてゆく、自然の中の一員としての人間の生きるべき道なのではないか

そんなことを考え実行するためにこの義捐金を活かすことが「米百俵」の長岡なればこその選択肢のような気がする

 ただ単に配っておわりとするよりも、将来大きな実を結んで世のため人のためになるような事業に資金を集中させた方が良いのでは

ということを私は沸々と考えている

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