平成16年11月23日(火曜日祭日、勤労感謝の日) 晴れ

昨夜10時からのNHKニューステンで有働アナウンサーが・・・

長岡は有名になったものだ、全国の天気といえば必ず「明日の長岡は」と教えてくれる
そしてテレビを付ければオリンピックでアテネのスタジオから情報を送ってくれていた
NHK夜10時からのニューステンの有働アナウンサーが
なんとテレビを付けたら長岡から中継ですと始まった
場所は私が昼間撮影していた仮設住宅のある操作場跡地ではないか
そこで窓の外を見たら跡地方面が、いつもなら真っ暗なハズが
きょうは異常に明るい、すごい明かりだ
家族に話したら、早速みんなで窓に寄ってきて、どれどれと見物

外が異常に明るい

 

あそこの場所だと思いながらニュースに注目

NHKが終了した後、11時台の筑紫哲也氏が出ているニュース番組も同じ所で中継していた


近所の人やあちこちから、このHPのことを聞かされて気になったらしく
HPの内容を3時間 かけて1か月分まとめてチェック
急に笑い出したり感心したり、私の間違えを指摘したりと、とにかく興味を持ってくれたようだ

今朝、柳原の旧市役所を見たら完全に足場で囲われた姿が目に入ってきた

非常に天気が良く、まさに秋晴れ、長生橋も良く見える

早速、昨夜の中継場所を通ってみる
敷地の隅の方にレンタルの工事現場で使う投光器が数多くまとめておいてあった
昨夜の中継で使ったやつだな、などと思いながら見ていた

ここは操作場跡地の仮設住宅北ブロックだ
後ろには新幹線の高架橋が見える
何でも明日から入居できるようなことを誰かが言っていたが、情報は定かではない
そのためなのか工事関係者ではない人が多く見受けられた

悠久山の池まで通じる裏手からの道、御山町、ちょうど桜亭まで入っていける坂道

ここら辺も被害が多くあったようだ、取り壊している最中のお宅

壊れた桐箪笥や応接セットなどが見える

壊れたものが野ざらしになっている

悠久山裏手から少年学院方面に向かうカーブの坂道
この道の先に少年学院の職員向け官舎があるが、この道もだいぶ被害があったようだ
ちなみに、少年学院の受刑者は他の場所に移送されたそうだ

官舎の少し先、少年学院への入り口手前ぐらいだろうか
栖吉の乳銀杏と名付けられた大銀杏がある、もう紅葉の盛りを少し過ぎてしまったようだ

実に山々の景色は素晴らしいすがすがしさを感じる

亀裂した車道は応急処置で直したが、歩道は相変わらず波打っている

電信柱が右左とバラバラに傾いている

工事関係者は休み無く工事に励んでいる

工業専門学校の道路を挟んで前、栖吉の農協近くのお宅

道路沿いにあった建物はすでに取り壊されて広々している

我が家の庭に咲いていた真っ赤な実の後ろには崩れた石灯籠が見える

草花だけを見ていると地震など想像もできない

我が家の二階を片づけようと作業に取りかかった、室外機付きガスストーブは相変わらず傾がっている

二階で片づけをしていたら、外からガシャンガシャンと瀬戸物を壊しているような音がする
それも何回も何回も音がする、何だろうと思って外に出てみたら
斜め前のお宅の屋根瓦を投げ捨てて地面に瓦がぶつかって壊れる音だと理解した

地面には壊れた瓦が山になっていた

今回の地震で壊れた家は、木造弐階建て瓦葺きというお宅が多い
それで、屋根を瓦葺きからトタン葺きとかスレード葺に葺き替えるお宅が見受けられるが
こちらのお宅も瓦葺きからの変更組なのだろう

ある板金屋さんが、瓦職人じゃないのに瓦撤去作業をさせられると話していたが
まさに、彼らはその状況なのだろう、だがら瓦を無造作にガシャンガシャンと割っているのか
それとも、瓦職人もやはり葺き替えの時はこのようにガシャンガシャンと投げ捨てるのだろうか

今日の昼間、2時から農業高校で被災者向けの落語が行われることになっていた
お手伝いにでも行かなければと思っていたら、片づけ作業で予定時間を過ぎてしまっていた
夜の7時から、今度は新産の体育館で夜の部をやると聞いていたのでそちらに向かった

新産の体育館に着くと
駐車場には乗用車ではなく軽トラックが多く止まっているのが見えた
この避難所は太田地区の方が避難されている場所と聞いている
体育館脇のスペースにはペット用の避難所、ペットハウスのテントが目に入った
先日、獣医の先生方が提案して実現したペットハウスということで
地元のCATVで紹介していたやつだ
そのTVのインタビューに答えていた獣医さんは、私の知り合いの先生だったのを思い出した

避難所に入ろうと思って正面に向かったら、正面玄関前に人がたむろしていて何となく入りづらい雰囲気だった
彼らはたばこを吸うために外にたむろしているようだが
私が近づくと視線が何となく突き刺さってきたが勇気を持って
こんばんはと声を掛け中に入ってみた
入り口で靴を脱ぐ姿にも外からガラスの扉越しに視線を感じる
「だれだ、見慣れないやつだな、うちの部落の人間じゃないな」という雰囲気があった
体育館の中に入った
体育館の壁には「太田地区に帰るぞ」というようなスローガンが大きく張ってあるのが目に入った
それよりも、何となく甘く美味しそうなハヤシライスのにおいが館内に漂っていた
体育館に入った瞬間
何か一斉に前面から視線が突き刺さってきた感じがした
その視線を解消するために、入り口にいっぱいいる市役所の職員らしい一番近くにいた人に話しかけた
「あの、7時からここで落語があると聞いて来たのですが」
すると、かれは何か警戒したような雰囲気で声と体が一歩引いた状況で
私が何者なのか探りを入れる目をして答えた
「7時半からですよ」
「え、7時と聞いてやってきたのですが」
「6時に黙祷が入りましたので夕飯が遅くなって30分遅くなったのですよ」
「そうですか、落語の関係者の人はどちらにおいでですか」
「準備をすませた後で出て行ってしまいましたよ、また後で来ると思いますけど」
「そうですか、あの、私も落語を聞いていって良いですか」
「いいんじゃないですか」
「そうですか、ありがとうございます」

こんな会話をしている間に、先ほどの刺さるような視線は段々少なくなってきた
その後、入り口付近に張ってある掲示物など何とはなしに眺めながら、まとわりつく視線を避けるようにしていたが
どうも居づらくなってきて体育館の入り口ロビーに退散した
入り口ロビーに置いてある冷蔵ショーケースの脇には物資が何箱も積んであった
係員が冷蔵ショーケースの中が空っぽになっているのを見て、物資の中から飲み物をショーケースに入れていた

入り口脇にはNTTの災害用無料電話と書かれた黄色い旗があり、そこで電話を避難民の人が電話をしていた

体育館の中でカメラを向けるのはさすがに気が引けたので
ドア越しに遠目からだけ写した

市の職員がけっこういて、大変だなと思った
彼らだって自分の家が被災している人も大勢いるはずだから

玄関の張り紙を見ていたら「取材に際してのお願い」なる張り紙があった
11月5日付けで「十分な配慮をおねがいします」と書かれていた
だんだん私がその避難所にいるのがおっくうになってきた
避難所が地域のコミュニティーを崩壊させないためにも
地域ごとに避難所を振り分けたことで
皆さん顔見知りの方で集まっておいでだから、どうもよそ者は入りづらいものがあった
今回は、私の仲間がこの落語の企画にたずさわっていると言うことでお手伝い感覚でお邪魔して
ついでに落語を楽しみ、避難所の雰囲気も写真に納めてこようかと思って出かけてきたが
なんとなく場違いという感じがした
どうにも居づらくなって、まだ30分も待たなければならないということが嫌になってしまい
退散することにした

体育館の中でチョット気になったことがあった
体育館の隅に「受験勉強中、静かに」と張り紙がしてあった
この体育館で夜、7時半からスピーカーも用意され落語をやるは良いが
落語なんか聞きたくもないという人もいるだろうし
勉強中の人にとってはうるさいだけだろう
とにかく合宿所のようなこの避難所で今まで個人の自由に生活してきた人にとっては
団体行動が優先になることで我慢できなくなることが増えるのではないかと思った
避難所の中でみんなに向けたイベントをやるのではなく
避難所の外で、希望者に向けたイベントをした方がよいのではないか
避難所の中は個人の家の中のようなもので
勝手に人の家の中でイベントをやるようなものではないか
そんなことを感じたが、よかれと思ってやることと、相手が本当に喜ぶこととは違うと思った

外に出てみると何となくどこかの温泉のようなにおいがする
見渡したら、自衛隊のテントが何張りも張ってあって、入浴施設はこちらと案内表示がされていた
住民の方が首にタオルを巻いて歩いていた

この避難所の近くは家電用品屋さんや

大型倉庫型スーパー、ガソリンスタンドなどがあり便利の良いところだ
そういえば、避難所の中で小さい液晶TVをつけて見ていた人がいた
これなんか、近くにヤマダ電機もあればコジマ電気もあるからすぐ手に入る
それより、あの避難所では電気はどうしているのだろうか
みんながいろいろな電気製品を持っているだろうから電気はテーブルタップで何本も配線しているのだろうか
それともどこかコンセントの近くの人だけが電気製品を使っているのだろうか
電気の線を引いてきて使えるようになったときから、ようやく文明が開けるのではないだろうか
そして、明かりを自分でコントロールできることが、電気を自分で自由にコントロールできることが文明の進化なのではないか

神戸が震災のあと、商店街を灯りのページェントとしてきれいに飾り立てた灯りを使ってお客様をたくさん呼んで復興に一役買ったが
考えてみたら、やはり電気の灯りが文化の印だとしたら、あの灯りのページェントは理にかなっているイベントなのではないかと思った
長岡でも、夜の長い晩秋から冬にかけて、今回の地震の復興イベントとして灯りを使ったものを考えても良いのではないかと思った
しかし、神戸と同じではおもしろくない、長岡の独自性が出せると良いのだが、などと考えをめぐらせ始めた

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