平成16年11月20日 続き  後半

三条の野球場駐車場に建てられた仮設住宅
私が7月13日、中小企業大学校で講義が入っていたので
朝、大学校に向かっていったらすごいバケツをひっくり返したような、というにふさわしい雨が降ってきた
そして、三条の郊外にある野球場の所では道路が濁流になっていて、車道がわからない状況で
車が流されないように慎重に走り抜けて何とか五十嵐川の橋も渡りきって大学校にたどり着いた
そのとき、五十嵐川の橋は、濁流に呑み込まれるのではないかと思うような状況で
土手が切れなければいいのにと思って見ていた
後で聞いたら、私が橋を通り抜けた後、すぐ下流の土手が切れて結局三条の税務署等も床上浸水してしまったという
そのときの避難民を対象に野球場脇の駐車場に仮設住宅を建てて入居していると聞いていた
ちょうどその野球場を通ったので見てみたら、まだ多くの方が仮設住宅に入居しているようだった
もう水害から四ヶ月も経っているのに仮設住宅での生活、大変だと思った

諏訪田製作所前道路
三条から見附方面に走ってくる途中、栄町を通り抜けるが
そこでチョット諏訪田製作所にトイレを借りに寄ってみた
この会社は爪切りや「くりくり坊主」という商品名で栗の皮むき器などで有名な会社だ
最近は新潟県が作った東京日本橋サテライトオフイスにもスペースを借りて積極的経営を進めている
行って驚いた、ここでも地震による被害が出ていた
道路に段差ができていた

工場の建物脇もこのように地割れや陥没が起きていた

見附の町から長岡の浦瀬方面に抜ける道を通ってみた

ここ見附の町も先の7月13日の水害で刈谷田川が決壊して床上浸水している
これらの家は、刈谷田川の橋の上から見える民家の写真だが、水害にあった地区で屋根にブルーシートが多く敷いてあると言うことは
地震でこんどは屋根がやられたということだと思われる

見附から田井に抜ける山道で土砂崩れの現場があった
今回の地震によるものだと思って写真に納めたが、ひょっとしたら先の水害によるものかもしれない

田井の交差点、けっこう車の量がある
長岡から栃尾に抜ける新榎木トンネルが交通止めだったから
長岡から栃尾に行くためにはこの田井の交差点から山越えで栃尾に入るのが一番の近道ということで
車の量が多くなっている
昔は、新榎木トンネルができる前、栃尾に行くという場合には必ずこの田井の交差点を通った

「越後富士」
遙か向こう長岡のまちを通り抜けたさらに向こうに見える山は
我が家の母親に言わせれば「越後富士」と呼んでいる米山が見える
米山といえばあの民謡「米山さんから雲が出た、ピッカラヒャッカラと雷がなる」 などと歌われた、あの山だ

浦瀬方面に向かう道を見るとアスファルトで凸凹を緊急補修した跡が見て取れる

浦瀬地区も先の7月13日の水害で被害にあったお宅も多かったと聞く
この写真を見てもわかるように、地区の多くのお宅の屋根にはブルーシートが掛けられ
今回の地震でも被害を多く受けていることがうかがえる

新榎木トンネル方面に向かってみたら通行止めが解除されていた
そこでトンネルを通ってトンネルの先にある場外馬券売り場まで行ってみた

ここも被害を受けたらしく補修工事をしていた

サテライト中越の向かいに見えるお墓はブルーシートが掛けられ
だいぶ被害を受けたようだ

新榎木トンネルを長岡方面に戻ってくる
工事中のところが多い

道路は片側交互通行となっている

車を山沿いに悠久山方面に向かうと
新規造成した愛隣地区がある、温泉の出る住宅として売り出した場所だ
どこもここも大変な状況で、ここも写真のように被害がだいぶあったようだ

悠久町の自宅前の風景を見ると、ここはすっかり冬の雰囲気が出てきている

航空自衛隊の車両も相変わらず駐屯している、自衛隊も大変だ

悠久山の野球場前の道路際に植えられている木々も晩秋の様相だ

中沢三叉路手前、相変わらず中沢三叉路は電柱が傾いたままとなっている

電柱の傾斜はそのまま、傾斜を放置してあると言うことは大丈夫だということなのだろう

三叉路近くにあった、ここの畳屋さんは取り壊されたが、他で営業しているようだ

悠久山通りを長岡の街に戻ってくる途中、栖吉川の橋を渡る左手前のお宅
屋根全体をブルーシートで囲っている、なにか家そのものを包装紙で包んだように見えた
中途半端に屋根にシートを張るより、このくらい徹底して張ると、どこかの芸術家がパフォーマンスでやったような作品に見える
タイトルは「包む」ですな、ハイ

中央図書館前の通り、長岡駅方面へ進行中、左手が中央図書館です

私の会社のロゴマーク、建物の壁面に張り付けてある

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