2004年11月4日(木) 曇り 雨   久しぶりの強い余震で不安が募る

ここ数日余震が少なくなっていたが、今朝9時前にガツンと震度4だと言う
段々体が落ち着いてきたところで、ガツンとくるとまた振り出しに戻されたと言うような感じで精神的にダメージが大きくなる
ガツンと来た直後の社内の様子、女性職員は恐怖の声を上げ逃げ出そうとしている
この写真に写っている中央壁面のロッカーが地震用の転倒防止用つっかえ棒が付けてある、これは地震には非常に有効である
幸い、一番不安定なロッカーに付けておいた転倒防止用つっかえ棒がついていたおかげで我が社のロッカーは一つも倒れなかった
しかし、久しぶりのガッツンは精神的な不安をしっかりと増長させてしまう
後かたづけすることがバカらしくなってしまう、どうせまた余震が来るのだから後かたづけなんかやっても無駄だと思ってしまう
人々の復興の意欲を削いでしまう実にタイミングの良い余震だ

地震から三日間はモノがなかったり、情報がなかったりと不安が先に立つ
しかし、三日経てばモノはドンドン豊富になり、ライフラインは自衛隊のおかげでドンドン良くなってくる
だけど精神的なモノはこれから段々壊れ始める、壊れるとなかなか元には戻らない、自衛隊では対応できない人の心の問題だ

今日の昼、最後まで出社できないで居た川口出身の男性がようやく長靴にジャージ姿の「防災ルック」で会社に現れた
道がやっと通じたので明日から出社しますとのこと、今日はスーツがないので長岡に買いに来ましたという
やっとスタッフが全員無事に戻ってきた、感謝感謝

今日、税理士会からFAXでやっと国が申告期限延期の地域指定を出したと通知があった
いろいろ不安な問題もあったが内容を確認したら地域指定で「長岡市」となっていたので長岡市全域のお客様が対象になった
昨日までは地域指定が出ても長岡市悠久町地域などと町名で指定されるのかと思ってしまっていた
このような不安をもたらさないためにも、月末までに地域指定を早く出して欲しいモノだとつくづく思った
いろいろ余計な不安をあおらないためにも、国は少しでも迅速な対応を願いたいと感じた

時期は晩秋、一番自然が色づく素晴らしい時期なのに、人の心は色あせている

南長岡操車場跡の復興支援用プレハブ工事現場だ、少しずつ姿が見えてきた

とにかく倒壊防止の緊急処置の作業小屋 (長倉)

我が家自宅の玄関ロビーの明かり取りの回りがボロボロと崩れているのを発見

階段上部より玄関ロビーを見る、上の明かり取りの埋め込みガラスの回りがボロボロと取れ掛かっていた

先日まで店の外にテントを張って頑張っていた原信中沢店がついに閉店してしまった

隣のお宅のガス管つなぎ目がずれていたようだ

ようやくサイドミラーが壊れた自動車が直って戻ってきた

街中のスーパーは完全に震災前のペースで営業をしている

マンションから見た信濃川向こうの古正寺地区と長生橋の明かり
写真左の直線は長生橋上の車の明かり、中央から右方向にかたまった明かりは古正寺地区の大型商店群の明かり
一番左に見える明かりは川西地区のジャスコの明かりだ
これらの明かりに沿った黒い帯は信濃川だ

完全に震災前の明かりに戻っている
見た目は確かにドンドン復旧しているが、人の心の中に残された不安はまだまだ復旧していない

この震災は長丁場になると読んで、まず80代の両親の体力を回復させなければと温泉に行って休養を取ってもらった
今日、その温泉に迎えに行っていろいろ話を聞いたら
なんと、毎日7時頃になると東北電力の青い作業服を着た人々が缶ビールのパックをぶら下げてどやどやと帰ってくる
そして朝の5時頃になるとそこの旅館で朝飯だけ食べてお昼のおにぎりを作って持たせてもらって長岡の復旧作業に向かうのだそうだ
しかし、その旅館はその温泉街で一番有名なプロ将棋の対局なども行われるような所だが
その温泉街全戸で作業者の宿泊が割り当てられたという話だ

ある新聞記者の話によると報道機関の人がまちの旅館を借り切ってしまい、食糧もコンビニの商品をまとめて買い切って
地元の人が避難しようと旅館を探しても満室、コンビニで食糧を購入しようとしても売り切れで不自由していると言う話を聞いた

また小千谷の人から大人用おむつが足りないとインターネットに流したら、それを見て長岡市役所が小千谷市役所に
大人用おむつを届けようと連絡を取ったら、すでにインターネットで情報をキャッチした人から大人用おむつが十分届けられたと言う話

昨日、私の所に一通のメールが届いた
それによると、地震発生当初から私のHPを見ていてくれたようで、その方は長岡市内にご両親がおいでで心配していたが
私のHP情報が一番頼りになったという感謝のメールをもらった
実に嬉しい限りだ
少しでも人の役に立てたとしたら、望外の幸せである

いろいろな方からご心配をいただきお手紙なり電話なりメールなりと、いろいろ声をかけていただいている、ありがたいことである
そして皆さんが必ずおっしゃられることは「何か不自由しているものはありませんか、何か送りましょうか」と質問されるが
現実は私の所長岡では品物で不自由しているものは無くなっている、全てお店にそろっているというより余り始めている
そういうことから、まことにありがたいことなのだが、モノは不自由している状況はなくなっている、これは事実である

ボランティアも入り始めているが、ボランティアをお願いしても、ただ単に二階の品物を全て捨てると言うのであればお願いもできよう
ボランティアの申し込みチラシには、単純作業しかできませんと明記されている
返ってお願いした方がやっかいになりそうなので我が家ではボランティアの申し込みはしないことにした

昨日ヘリコプターで山古志から牛を運んだ牛肉卸商の話が聞こえてきた
なんでもヘリコプターの代金が1時間百数十万円とかで、一時に牛を運ぶことができる頭数は数頭で・・・

今回の災害を見ていると、ヘリコプターが勝負だと感じた
ヘリを持っていないと、そしてヘリポートを確保しておかないとどうにもならないと
いざというときに使えるヘリが長岡市には何機あるのだろうか、そしてヘリポートはどこにあるのかと

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