2004年10月30日(土) 我が家とその回りの状況

一週間が過ぎた
少し落ち着きを見せたようだ
昨夜はあまり余震を感じなかった
余震がなかったわけではないが、感じなくなってきたのだろうか
とにかく爆睡している、段々疲れがたまってきたのだろう
私でさえこんな状況なのに、80代の両親は環境が変わって、毎日後かたづけに精を出し、疲れがたまっていないはずはない
あとから寝込んでしなわないかと心配している、ゆっくり休ませたいと思ってはいるが、自分たちの落ち着ける場所が無くなってしまい
この先どうすればいいのかと心配しているのだろうか、とにかく毎日後かたづけに出かけてゆく
もっとも私のマンションでじっとしても居られないだろうし、悠久町の自宅に行けば後かたづけをしないわけにはいかない
明日は日曜だからゆっくりと休んで、と言いたいところだがたぶん自宅に行くと言うだろう
いろいろ心配事が増え始めた
悠久町の自宅は窓がキチンと閉まらなくなって室内にいても寒さを感じてしまう
かといって、ストーブを焚く気にもならない、また地震が来たら危ないと思う

今朝、親を自宅まで送り届けたら、家屋の危険診断をしてくれたようで「要注意」と診断結果が貼ってあった
内容は「土台の不均衡沈下」だという
確かに、家の北西部、風呂場やトイレのある方向に床が引っ張られたようだ
玄関ホールの階段取り付け部を見ると床が数センチ動いた跡が残っている
家の床が真横に一気に引っ張られたのだとわかる

まるでグラスを乗せたテーブルクロスを一気に引っ張って見せるテーブルクロス抜きの技が失敗したような状況だ

引っ張られた方向は自宅の北西、左奥の方向だ

外に出て左奥のお宅を見ると悲惨な状況になっている
自宅前のコンクリートは割れて、隣のお宅の壁とのあいだに隙間ができ
さらに一番ハッキリしているのは
まさに我が家の引っ張られた左隣奥のお宅の角の道路のアスファルトが10センチくらいだろうか
動いて道路の側石をめくっている
これを見ると、我が家の建物の土台と床が一気に引っ張られ、その上に乗っている柱や壁を大きく揺すって
おかげで壁はボードの貼り合わせ部分が全て動き、基礎と柱をつないでいる部分を壊し
結局、床が大きく動いたことでその上に乗っている柱を無理矢理床を真横に抜くようにして全てが倒れた
特に二階はガチャガチャになってしまった、障子戸が外れてしまうほどの揺れ、桐箪笥が倒れてしまうほどの揺れ
想像を絶する揺れだったと思われる

我が家の裏に回ってみると
近くの同じ町内のお宅は家そのものが地盤から傾いているのが見た目でわかる
まだ我が家など良い方で
同じ町内のお宅など市の検査結果がピンクの紙で「危険」指定を受けているお宅が何軒もある
我が家は黄色い紙で「要注意」、この紙は回りのお宅をみるとほとんどのお宅がピンク紙か黄色紙が貼られている

避難の時、避難所にみんなで寄り集まって隣組として励まし合って眠れない夜を過ごした方々が
今では皆さんあちこちに疎開され、留守宅になってしまっているお宅が多くなってきた
実際、こんな余震の続く中で壊れかけた建物の中で寝ることはできないし
さりとて、皆さん避難所生活は2泊がせいぜいで、早々に神奈川の娘の所とか新潟市の息子の所とかとちりぢりになっている
コミュニティーが崩れ始めている
残された、行く当てのない人々は、プライバシーも何もない、避難所に寝泊まりするしかない
寝たきり老人とそれを介護する、本当は自分も介護を受けなければならない何とか動ける老人のなんと多いことか
こんなに老人が多いのかと感じる

弱者が一番悲惨な環境に追い込まれる

 

前へ

次へ

目次へ