2004年10月28日

マンションと会社は歩いても数分の所にある
その途中の家の車庫を見たらフロントガラスが割れてボディも傷ついた車があった
そういえば母親の乗っていた車のサイドミラーが壊れてしまっているし、ボディも傷ついている
早めに直さなければと思い出した

マンションから北西を見るとちょうど長岡花火の打ち上げ会場である信濃川の川原が見える
川の向こうに赤く見える建物がジャスコ、その隣が結婚式場のベルナール、大手大橋と見える
ちょうど花火打ち上げ場所の方角の住宅を見ると屋根をブルーシートで覆っている家が何軒も見える
木造瓦葺きの古い家が屋根瓦が壊れたケースが多いようだ

マンションの北東を見ると長岡市の中心街が見える
こちら側は、ほとんどブルーシートで覆った屋根は見あたらない

マンションの1階駐車場に簡易トイレが設置された
脇にはトイレ用の水タンクも並べられている
現在水は生活用として使えるようになっているから、トイレもシャワーも問題ない
しかし、こうしょっちゅうガツンガツンとやられたのでは、いつまた使えなくなるかわからない
そのときのための屋外簡易トイレとして役立つのかもしれない

私は、今日、被災地指定を受けていない三条地区で講演があったので出かけてきた
通常なら1時間で到達するところだが余裕を見て3時間前に動き出した
途中の道路は県外ナンバーの車が非常に目立って走っていた
高速道路も途中から利用することができたので思ったよりスムースに到着できた
早く着いたので昼食を早めにということでレストランでゆっくりしていた
なんとなく、ゆっくりと「穏やかな」時間が過ぎてゆくのが別世界のような気がしてきた
地面が揺れていないので、逆に体が揺れているような気がしておかしな感覚にとらわれた
船から久しぶりに陸に上がると「陸酔い」現象にあうような感覚だ

講演は中小企業診断協会創立50周年記念事業の一環で行われた記念講演だ
新潟県診断協会としても大切な事業なので中止というわけに行かず
肝心の講師の私がこの震災で来れなくなるのではと心配だったのだろう
副支部長が地震の翌日、支部長は昨日、事務局長は今朝と確認とお見舞いの電話が入った

やはり地震の影響で参加者が少なくなってしまったようだ

何とか無事記念講演も終了して再度、被災地の長岡に舞い戻った
帰ってきて会社でお客さんと打ち合わせをしていると
今度は、いままで少しぐらいの揺れはさほど気にならなかったのだが
一度、揺れのない地域で安心して半日ほど居たら
被災地の揺れがやはり気になってしまった、つくづく人間とは不思議な仕掛けを持っていると思った

長岡が、こんなに地震騒ぎになっているが、これは大変なことになると思い始めた
干上がってしまって苦しんでいた土木建設業者は神風が吹いたようなモノかもしれない
しかし、ようやく立ち上がり始めた機械工業関係、鉄工所などは東京との物流が切断されたり
何トンもする 機械設備が地震で動いてしまい元に戻すことも大変な状況だという
この地震をきっかけとして廃業に追い込まれる企業者も出始めている
大変なことが起きていると感じる
こうなったら、長岡の米百俵の精神を見習って
集まった義捐金を各戸に配布するなんてことは止めて
まとめて将来のためになる投資に回す方がよいのではと考える
というより、長岡市が米百俵の精神をここで発揮しなかったら、なんで米百俵の長岡といえようか、と考える
また、中小企業者が各社バラバラに復興を考えるのではなく
組合などが被災した中小企業者をまとめて共同経営できるような施設や場所を提供してゆくなど
いろいろなことを、この震災をきっかけとして検討する必要があると考え始めている
逆に言えば、この震災は千載一遇のチャンスなのかもしれない

とにかく、こんな劇的なことは無いのだから、「災い転じて福となす」

よそではできない最大チャンスが天から与えられたと考えるべきだ

久しぶりに揺れのこない場所に行ったら、少し落ち着いて考える気持ちの余裕ができたのか
いろいろなことを考え始めた
この震災は物理的にどうのというよりも、精神的にダメージが大きい
なぜならば、毎日大きな震度5クラスの地震がやってくる
せっかく直した家具がまた倒れ、なおしたらまた倒れ、結局、賽の河原状態で
今までの作業がすべてダメになる、むなしい、徒労となり、片づけようという意欲を確実に削いでしまう
段々バカらしくなって復興作業に対する意欲を確実に奪ってしまう地震の発生パターンだ
結局物理的ダメージより、精神的なダメージが大きな震災だ

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