平成20年05月12日(月曜)

今日は大宮で税理士会の会議があるのでやってきた

いつも大宮駅前のそごうデパート正面に掲げられている仕掛け時計

毎時間必ず「世界の子供たち」の音楽と共にお人形が踊る仕掛けになっている

ついつい足を止めて仕掛けを見て行く

親子連れの見物客も時間が近づくと皆さん楽しみにしてまっている

そんな人だかりがいつもできているのだが

この日はそれが見られなかった

私は1時少し前にカメラを構えて待っていたが

どういう訳か時間になっても仕掛けが始まらない

おかしいなと思っていたら

後ろからどこかの人の良さそうなおばさんが話し掛けてきた

「実はね、私も午前中ここに来たとき楽しみにしてみていたのだけどね

鳴らないのでどうしたのかと人に聞いたらね

止めちゃったんですって」

大宮の駅近くにある大きな施設

立体的な建築となっており

空間としては面白いつくりとなっている

そして、この建物もいろいろ工夫がされている

単純にビルを建てましたと言うことではなく

少し変化が欲しいと言うことなのだろう

円形の入り口建物を用意している

さらに柱に取り付けたアーチ型の演出も工夫されているのだが

なんとなく、じっくり腰を据えて作りましたと言うより

取って付けた、と言う感覚は消えないのだ

なぜなのだろうかとふと思うのだが

ビルとしての合理的な機能を追求して造ることにはたけている業者に

それだけではダメだと、合理性ではないデザイン的な無駄を要求して

芸術性を加味させようとして造られた建物というか

合理性が8割、芸術性が2割で両者が今一つ融合し切れていないという風に私には見える

経済的合理性から見た考え方が世間ではまかり通っているが

本当は合理性より遊びという無駄な部分というモノが人間には必要なのだということが言われる

それはわからないでもないが、根っから合理性で動いていた頭に、まさにぎこちなく遊びを入れた造り

そんなイメージなのだ

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