手術をすると集中治療室に入る
ここではほかにも同じ日に手術をした人がいる
皆さん私よりご高齢な方のようだ
手術後、体のいろいろな機能が低下する
タンを切る能力が低下するのだろう
ガーとかゲーとかゼーゼーと声が聞こえる
さらに電子機器の音がピピピ ピーーーとかと聞こえてくる
何の音かわからない
自分につながれている機器の音だろうか何だろうか気になる
そんなとき耳栓が有効なのだ
よけいな音が聞こえなくて不安を無くしてくれる
病室で椅子に座って新聞を読んでいるとき
若い看護婦が質問してきた
「タカノさんって、何か特殊なお仕事して居るんですか」と
「なぜ?」と聞くと
「だって、ヒゲを生やしているから」と
私は答えてあげた
「そう、ヤミの仕事なのだ、聞いてはいけないよ」とかまってあげた
人は見た目が8割とか
自分のキズは、何か恐ろしくてみられなかった
ところがガーゼからはみ出している傷口が目に入った
ドキッとする
何かホッチキスのようなものでキズを止めてある
傷口を見てしまうと
こんどはその傷口の映像が頭に浮かんでよけい気をつかってしまう
見る前は体を横にして寝返りを打っても
痛いかどうかだけの感覚に神経をとぎすましていたが
傷口を見てしまった後は
その傷口が開くのじゃないかと映像が頭に浮かんでしまう
見なければよかったと思った
夢を見た
逆に言えば夢を見られるようになったということだろうか
確実に回復してきたのだろうと思った
ふと夢をリプレイしてみた
私は真っ暗な舞台の上に立っている
左の奥に二人の男が急にスポットを受けて浮かび上がる
その二人が争うような速い動きで私の目の前を通ってすぐ右前で止まる
そして主役だろうか、体型はスリムで顔つきに気迫の現れた彼の顔が見える
その相手役は汗をほとばしらせながらしゅんびんな動きをしている
他には私しかいない空間だ
うらやましいと思った
のめり込んで役を演じている姿がうらやましかった
役になりきっている姿がうらやましかった
私もやりたいと思った
そこで目が覚めた
役者をやりたくなってきた
舞台に立ちたいと思った
とにかく痛いのだ
呼吸をしっかりとできない
浅い呼吸しかできない
歩くときも前屈みで歩く
シャックリをすると痛い
笑うようなことは最悪
そう、盲腸で入院した人をお見舞いするときは
笑わせてはいけないという
痛くてしょうがないのだと聞いていた
考えてみれば、私はちょうど盲腸のキズを4カ所付けたようなものだ
だから盲腸の4倍痛い状態なのだと思った
手術後の人間に最悪なもの
それはTVの「笑点」というお笑い番組を見ること
最悪です、ホント
シャツの上からふとお腹を触った
びっくりした
なにかお腹に金属製のボタンが付いているように錯覚する
風呂に入ってよいという
風呂に入って初めて自分のキズを見た
4カ所傷口がある
すべてにホッチキスのような金具が付いている
おへそのとこにも金属の輪っかが付いている
ふと思った
「これってヘソピーじゃん」
わたしゃ時代の最先端だ、ハハハ
家内に傷口を見せてヘソピアスだと話したら
相手にされなかった
AM6:04カーテン越しに朝の明かりが入ってくる
空を見ると光のカーテンが私の退院を祝うように見えた
全体に雲のかかった天気だ
田んぼの区分けが結構バラバラだと思ってみていた
見ていると、これは機械で結構粗雑に田植えをしたのではないか
などと、田んぼ一枚一枚個性が見えると思ってみていた
他の田んぼを見てもやはり少しずつ違うと思ってみていた
結構サギが飛び交っていると思って見ていた
まだまだ農薬をつかっているのだからサギにとっては体内に毒がたまっていなければいいのにと思った
こうやって田んぼを見ていると
どの田と、どの田が同じ耕作者なのかわかるような気がしてきた
この田は、先ほどの機械で力任せに田植えをした田と
同じ耕作者ではないか
などと思ってみていた
ここは田んぼの中にどんどん住宅地が割り込んできている
かくいう、この病院なんぞ、今まですべて田んぼだったところをつぶして作った病院だから
それが本当は環境にとってよいことだろうか
コンパクトシティなどと最近言われるようになったことは
このような、農用地をどんどんつぶしてゆくことが結果として地域住民にとってよいことなのだろうか
というような反省の中から出てきたことであって
経済の原理一本では、結果として人間、自分自身の足下を削ってしまっているのだという問題意識がでてくる
ま、難しいことを考え出すとキズが痛む
あーあと何も考えずに空を見上げて雲の動きを見ている方が
なんとなく自然の懐の大きさを感じ
心癒されるなあと思った
さてこれは何なんだろうかと気になっていた
私が入院した日から他の病室の前に置かれている
ゴザに包まれた布団袋のようだ
ここの病院では病人の付添人が泊まるのだろうかと思いながら見ていた
それとも、だれか付添人が一緒に泊まるつもりで病室内に持ち込んだのだが
病院の方から付添人の宿泊は遠慮してほしいと断られて
仕方なく持ち込んだ布団を退院の日まで置かせてほしいと言うことで
廊下に置く羽目になったのだろうかなどと思って見ていた
いよいよ退院だ
まだ体は痛いのだが
不思議と病衣を脱ぎ捨てて
私服に着替えると歩き方が違ってくる
ナースステーション、いやここはスタッフステーションと書かれている
スタッフステーションに挨拶に行った
皆さん私服に着替えた私の姿を見て一様に驚いていた
腕に巻かれたネームプレートをハサミで切り落としてもらって
無事解放だ
お世話になりました、ぺこり
さてさて、実は退院の時
最初に入院した日の向かいのおじさんはまだ入院しているかどうかと思った
退院の挨拶に行こうかどうしようかと思った
名札をみたらまだ入院しているようだ
しかし、私のような者が退院だなどと挨拶に行っても
相手は私より大変な病気をしている
後から入院して先に退院する私を見て
あのおじさんからすればおもしろくないのではないかと思った
私が退院の時、部屋の前まで行ってみたが
結局顔を出さずに戻ってきた
とにもかくにもお世話になりました
思ったことは
とにかく退院してきた
気分的には「地の縁(ふち)」から這い上がってきた感覚なのだが
しかし、私なんか命にかかわらない贅沢な状況だ
集中治療室にいた他の人は
たぶん70前後のおじいさんだと思う
彼らがああやって命(いのち)と戦っている姿を見て
私なんかまだまだ恵まれている状況なのだと思った
昔、大学院で修士論文を書いている20代のとき
人間、眠くなるのとお腹がすくのがなければ、もっと集中して論文が書けて
すばらしいものができるのにと思ったことがある
眠くなったりお腹がすいて論文が書けなくなって中断することで
やっと積み上げてきた思考が崩れ去って
また一から積み直しになる悔しさを思ったことがあった
税理士の仕事をやり始めた30代のとき
とにかくどんな問題があっても
わからないことは徹夜してでも
一生懸命調べて仕事をこなしてゆく自信があった
診断業務が増えてきた40代のとき
いろいろな実例を見ながら思いっきりいろいろなことに挑戦した
そして新しい決断をして新しいビジネスを決断した50代前半
自分で決断することばかりだから自分で考え自分で判断して
そう、自分で決めて仕事を処理してきた
そして今回の入院騒動はちょうど55歳
これからの50代後半をどう進めていこうかというところで
なにか方向性を示してもらったようだ
なんでも私がやるのではなく
私がやらなければならないことだけに絞り込んでゆこうと思った
それ以外はドンドン若い人にやってもらおうと
人を育てようと