朝、目が覚めて外を見る
港町らしく船が目に入る
さて、今日の朝食は市場の食堂で食べる予定にしていた
市場と言っても街中にあるビルの地下にある
朝5時からやっているという
早速お店に入った、たのんだ、出てきた、すごい、すごいのだ
緑の色をした卵があったのでこれは何かと質問した
「トビッコ」と答えが返ってきた
トビウオの卵のようだ
そして、その卵をわさびで色づけしたという
その下にあるホタテがまた肉厚で驚いた
海鮮丼を注文したのだが値段の割にボリュームがあって中身が良いのに驚いた
市場の中を歩いた
広いのだ、本当に広いのだ
ホタテが並べられていた
これは何だということで目にとまった
お店のお姉さん方が元気が良い
個人商店風の洗濯バサミ作戦だ
これはコインロッカーだろうか、それも魚を入れておけますということだろうか
いや単にデザインで魚の絵が描いてあるのだろう
我々が泊まったホテルなのだ
ここは天皇陛下も泊まったということで思っていたより良いホテルだった
青森で感じたことの一つに物価が安いということだ
同じ財布の中身でも地元に密着しているものは比較的お安い値段のような気がする
そしてここのホテルも設備の割に値段は安いと感じた
それと、駅前を歩いていて思ったことは
とにかく何処へ行っても全国チェーンの居酒屋やファーストフード店が目に付く
もっと地元を意識したお店があっても良さそうなものだと思った
全国チェーンのお店は売り方、店舗の作り方、管理の仕方、商品の品揃え等々
洗練されているから地元に食い込んでいける
というより、地元のお店がそれらのノウハウが弱いから食い込まれてしまう
やはり地元は地元で、もっと勉強しなければならない
勉強が足りないのではないかと感じた
それと、国の補助金が入っていろいろな観光施設などが作られているが
あか抜けた建物がランドマークとなってまちが変わっていく
青森の人口は20数万人と聞く
弘前が第二の規模かと思ったら八戸が第二の都市で
弘前は県下第三番目だという
今日は恐山に行く予定になっている
青森から二時間ほど掛かる
青森駅のホームに着いたらディーゼルの車両が一両だけ待っていた
なんと一両編成なのだ
車両に乗り込むとリタイアした老夫婦というか、ま、60代以上の人が目立つ
私どもが一番若いのだ
みなさんリュックを背負って山歩きでもするような
山歩きと言うよりトレッキングとでもいうのか、結構軽装でラフな格好なのだ
だいたい老夫婦か女性のおばさんグループなのだ
何でこんなに年寄りが多いのかと思った
そんな中に自分たちもいることがちょっと躊躇するものがあった
外はススキの原、秋なのだ
終点大湊に着く、駅前のレンタカー屋さんと思って探したら
駅脇のホテルのフロントでレンタカーを取り扱っていたのだ
事前に予約していたから車は準備されていた
恐山は車の便がよろしくないのでレンタカーで動くことにしていた
車で30分も走れば着いてしまう
この山は冬場閉鎖されるという
車で舗装された道路をドンドンと登る
道路の脇には100メートルほど間隔であろうか
52丁目、51丁目、50丁目などと順番にカウントダウン表示が石碑に刻まれて並んでいる
だんだん近づいてくる
昔はここを歩いて登っていったのだろう
そうすると、気持ちがだんだん霊界に近づいてゆくような気持ちになったのだろうと思った
道の先が急に開けて湖が見える
その瞬間、卵の腐ったような硫黄の強烈な匂いが鼻を突く
そう、霊界に近づいたという感覚がする
道路脇を見ると黄色に変色した水がしみ出している
その先に三途の川なる表示がなされて赤い太鼓橋が架かっていた
この川自体は普通の真水のようだ
見ると魚も泳いでいる
しかし、三途の川と書かれているとなにやらおいそれと渡りにくいものだ
川の流れに沿って湖の中まで柵が続いている
橋の欄干に鈴がくくり付けられているが
その鈴は硫黄のためだろうかさび付いている
誰が付けたのか知らないが
肉親がこの橋を渡らないように、この橋を渡りそうになったら鈴を鳴らして戻ってくるように
そんな思いがあったのかもしれない
三途の川は車で行くとあっという間に渡ってしまう
時代が進むと三途の川も気楽に行き来できるようになってしまったようだ
その先に湖の脇に広がる平場にお寺が見える
お寺の境内に足をすすめる
見る風景がどこか特異な風情が見える
お寺の欄干越しに向こうに広がる荒涼とした場所が見える
地獄巡りだろうか、熱地獄だろうか
ガスが吹き出して湯気を立てている
辺り一面硫黄のニオイがきついのだ
石は黄色に変色し、ガスがシューシューと吹き出している
そんなあちこちに石を積んで、その上に風車が回っている
死んだ子どもを思う親心だろうか
「死んだ子どもの年を数える」
という言葉がある
それは無駄なことだというような意味だと記憶する
しかし、親の気持ちとして死んだ子どもの年をやはり数えるのだろう
過去を引きずって生きてゆく
そんな気持ちを少しでも慰めてくれるのがこの風車なのかもしれない
きついニオイの中でカラカラと回る風車
時折風の方向が変わるのか止まったり回り始めたり
見ていると何となくもの悲しくなる
ゆっくりと回っていると思い出すのは
佐渡の突端に賽の河原という場所がある
あそこも同じ石積がなされて風車が回っていた
もっともここも賽の河原なのだ
あちこちにお金が置かれている、新しいお金は姿をとどめているが
時間がたったものは腐食してわからなくなっている
みなここを歩いているときは静かに何か物思いにふけるように歩いている
みな霊界の中をさまようように歩いてゆく
この中を歩いていると霊界とコンタクトできるような気がしてくる
いろいろな人に育てられ
いろいろな人に助けられ
そして生きている自分を感じる
石仏が所々に置かれている
なかなか優しいきれいな顔をしている
そして、寒いだろうからと言う意味か
お地蔵様に何か着せてあげなければと手ぬぐいが掛けられている
血の池だという
見上げると向こうに穏やかな池が広がる
何もない先に穏やかな池が広がる
その湖畔には、白い砂浜が続いてゆく
そんな浜に石の地蔵が救いのように点在している
誰が立てたのか砂を盛ってワラのような打ち上げられた
植物の茎を、まるで線香を立てるようにしている
なんとなく賽の河原を通ってここにたどり着くと
心が穏やかになり
素直な気持ちになって
亡くなった者に対して心が通じたような気持ちになる
そう、ここの白い砂浜が極楽浄土のような気持ちにさせてくれる
私も砂を盛って茎を一つ立ててみた
なにか心を洗われたような気持ちになる
ふと目を上げると花が立てられている
ここに集う者みな「思い」を霊界に伝えている
そう、やはりここは霊界に一番近いところなのだと感じた
不思議な空間なのだ
現実世界とは違った、心が肉体から飛び出して生き生きと呼吸している場所
心の洗濯の場所
心に酸素を送ってリフレッシュしてくれる場所
そして、心が久しぶりにかけっこでもしそうな場所
だが誰も言葉を発しない、風の音と風車の音、硫黄のニオイだけの空間なのだ
誰が結んだのか草が束ねられていた
荒涼とした空間を霊界と会話しながら黙々と歩く
石仏がなにやら心を救ってくれるような気がする
五大石仏が見える
ここの奥で「イタコ」が霊界の言葉を伝えてくれている
見ると老夫婦が神妙に聞いているようだった
ようやく一巡して境内に戻ってきた
広い境内の中に掘っ立て小屋のような者がある
人がのぞいている、薬師の湯と書かれている
しかし、ここの湯は男湯と書かれているがおばさんは躊躇せず覗いていた
中は温泉になっていて
硫黄泉、乳白色に輝いていた
私も入ってみようということで
お寺の境内にある温泉に入ってみた
境内には数カ所このような温泉があり
自由に入れるという
みなさん結構入っていた
欧米人だろうか大柄な夫婦が子どもを連れてやってきた
興味深くあちこちを覗いていた
私はタオルなど持ってきていなかったのだが
入ってみた
長く3分〜10分以上は入らないようにと注意書きがしてあった
硫黄泉だ
身体が温まる
御利益がありそうな気がした
初めて訪れた恐山
それも銀婚式の記念にと訪れた恐山の印象は
とにかく硫黄の匂いがきつい
その硫黄のニオイをかいだ瞬間から
「昔の人は」地獄をイメージしたのでしょう
私もテレビや雑誌などでイメージしていた雰囲気より
まともだったので安心したというか何というか
確かに、ここは人の心が、思いが集まっているところ
そんな風に感じた
民間信仰というか思いが詰まっているところということだろうか
実際は曹洞宗のお寺で円仁の開祖だという
皆の気持ちが死んだ人とつながる場所
そんな心の思い、優しさ、素直さが集まった場所
だから「イタコ」なる人が死者とコンタクトを取ってくれる
そして死者の言葉を聞かせてもらえるという
そんな人の心の素直さが集まった場所だ
帰り道、山から下りてくる途中で対岸の風力発電設備が目に付いた
風の強い地区なのだと思った
電車には少し時間があったので
大湊の町を走ってみたら、「斗南藩士上陸の地」なる祈念碑のある場所に寄ってみた
なんでも明治二年に会津藩士が許されて新潟から船に乗りこの地に上陸してここに住み着いたという
その最初の上陸地点だという
明治に入って初めて開拓された地ということだろうか
そう、幕府側に付いた藩は明治期にはつらい立場に立たされた
そういえば、長岡藩も同じこと
その意味で山本五十六が長岡藩の人間で出世するとしたら
政治の世界では薩長がおさえているので
軍隊しか活躍の場がなかったというような話を聞いた記憶がある
さて、目の前の波打ち際を見ると海鳥がたむろしていた
さらに沖を見ると、なんと自衛艦が停泊している
なんでこんな目の前にいるのかと思った
そういえば、柏崎の原発施設の沖合にも自衛艦が停泊していた
ここの町の地図をみると近くに原子力研究所なるものがあるようだ
その関係でここに待機しているのだろうか
あとで、駅の係員に聞いた話によれば
なんでもこの近くに海上自衛隊の基地があって
先日、ここの基地で間違って機関砲を住宅地に向けて発射してしまったという事故があった
それがここだという
海鳥がゆっくりと見ている
大湊駅は終点なのだ
しかし、いろいろなところのサインマークを見るが
みな似ているようで微妙に違うことに驚かされる
今度の電車は一両編成ではなくなんと三両編成だ
それも展望用の窓側座席がオシャレだ
きれいな西日が海に光っている
向こうに見える島々は蜃気楼のように海から浮かんで見える
電車は青森行きだから野辺地で降りて八戸へと向かう
「よぐ、おでりましたにし」
そう、そう言えばタクシーの運転手に私が話をしたら
急に使い慣れない標準語というか東京弁を緊張して使っていたことを思い出す
八戸に着いた
しかし、満員電車なのだ
それもリタイヤ世代の老夫婦がほとんど
中には男性ひとり旅のおじさんもいたが
かれはあちこちで気楽に声を掛けて話題を提供していた
なんでも白神山地を見て回って恐山に行って帰るという
そう、白神山地に行ってきたという人はみなさんトレッキングのスタイルなのだ
私のようにネクタイまで締めて歩いている人はいない
しかし、夕方になるとネクタイをマフラー代わりにしていないと寒いのだ
ちなみに上のサインマーク、ステッキを持った老人のマークは何を意味しているのかわからない
八戸で一時間ほど時間が余ったので
駅ビルで食事をすることにした
外に出てみたがあまりお店が目に付かなかったので
結局駅ビルに戻ってきた
八戸から一気に大宮まで戻る
仙台から大宮まではノンストップなのだ
新幹線は車体をグイグイ引っ張りながら
最高スピードで突っ走る
例のひとり旅のおじさんが他の人と話していた会話に寄れば
金沢から青森に行くには日本海を通っていては遅すぎるので
湯沢に抜けて大宮まで出て東北新幹線で突き抜けるのが一番早いという
そうすると、長野新幹線ができれば当然湯沢など通らずに
長野経由で大宮、仙台青森と言うことになる
上越新幹線の本数は減ってしまうわけだ
そう、青森で新幹線の工事をやっていた
いつ開通するのかと聞いたらタクシー運転手は四年後だと言っていた
これは大宮駅
女性のマークもいろいろ見るが微妙に違う
これは新幹線で使っているマークだ