平成17年6月9日(木曜日)
今日は、午前中は柏崎、午後は新潟と飛び回っている
有り難いことだ、なんだかんだと声をかけていただいて
おかげで、なんだかんだといろいろなことを勉強させていただいて
最近とみにそう思うようになってきた
「声が掛かるうちは花」そんな風に思っている
そのうちどこからも声が掛からなくなる
そうなったらだれも相手にしてくれない
せめて声の掛かるうちにやれる範囲で一生懸命
いや、やれなくても一生懸命
それが大切なことではないかと思っている
感謝すること、有り難く思うこと
ふと一人でそんな風に思っている
午後の会議は新潟だ
会議の後の懇親会というか、本当はこちらが大事な会議なのだ
情報交流会、そう、会議用テーブルを囲んでの会では交流など、なかなかなしえない
相手は組織人だから上下の区別はハッキリしている
立場や役割が明確だ
だから会議の最中には本音など話さないし、話せない
そんな会議だからほとんど眠い会議となる
書いてある書類を間違いなく淡々と読み上げる
そうすると、タンタンと眠くなる
ま、あまり原稿にない勝手な意見を話そうモノなら
その人物の今後の出世はなくなると思わなければならない
だから、彼の今後の生活の安定のためには
「淡々と読み上げる」ことは重要なことなのだと理解しなければならない
そこで、大事になるのは懇親会なのだ
懇親会の席では順番にお酒をついでまわるという習慣がある
これがポイントとなる
なにせ昼間の会議は組織対組織とでもいうのか個人対個人の場ではない
そこでの発言は公(おおやけ)の発言として受け止められることになりやすい
それは組織としてはなかなか取消が効かないことが多い
だから慎重にならざるを得ない
ところが、懇親会になるとお酒をお酌するために1対1で話をする機会がでてくる
そこでは、「いやー、実は私も先生の意見に賛成なんですよ、ハイ」
などと本音で会話が始まる
これが実に有効な交流のチャンスなのだ
だったら、昼間の会議をやらずに夜の懇親会だけでも良いではないか
という意見が出てくるだろう
が、しかし、それはムリなのだ
昼間があって初めて夜が設定できる
昼間が無くて夜だけだと「大義名分」が無い
何かをする場合には、この「大義名分」が重要なポイントなのだ
ここのホテルのサインマークは以前にも掲載したかもしれない
なかなかクラシカルな雰囲気で私の好きなサインマークの一つだ
無事交流会も終わり、ホテルの階段を下りている途中
さてさて、まだ時間も早いからと仲間でどこかに行こうかという話になった
そこで、私が行きそびれている新潟のお店というと
佐州国を思い出した
れいの、私の家内の誕生日パーティで予約したのに私がぎっくり腰でいけなくなった店だ
早速そこに決まった
場所は鳥屋野潟のほとり、静かな一角にある
店に入ったら、以前お会いした女将が喜んでくれて
店内を案内してくれた
女将自慢のかまど、お店の焼き物はすべてここでやっていますと言う
そして、かまどの一角はしめ縄で囲われている
そう、火をあつかう場所には神が居る
神様の居場所と言うことでしめ縄が張られるわけだ
女将は言う、このユリを見てください、こんなに大きなユリなんて見たこと無いですよね
と言って、自分の手と比較してくれた
店内のあちこちに細やかな気配りがなされていた、そう、佐渡料理ということでこんなお人形もある
なかなかおしゃれな演出だ
そうそう、この店の手洗いを見る
ひょっとこだ、そうか、そう来たかと思う
では女性は、と見ると、そう、おかめだ
されさて、どんな料理が出てくるのか
いやー、佐渡でしか食べられないという料理がなんと、新潟で食べられるという
いろいろ食べさせてもらった
ふぐの白子なども実に美味しくいただいた
いろいろあった
素朴ながら素材の良さと料理人の腕がおいしさを引き出してくれている
そうそう、弥彦の一人娘だっただろうか
枝豆、美味しい枝豆だ
そういえば、枝豆を銘柄指定するのは新潟県くらいだなどという話を聞いたことがある
枝豆の美味しい季節になってきた
弥彦の一人娘、やら茶豆やらといろいろな銘柄がある
しかし、枝豆のおいしさはゆで方にある
あまり一度にいっぱいゆでると美味しくない
小さいときに、朝近隣の農家の方が売りに来た枝豆を
風呂場で豆だけをもぎ取る作業を言いつけられる
こっちは遊びに行きたいモノだから
何とか適当に豆をもぐ作業を簡単に処理できないかと考える
そう、そんなことを考えて枝豆もぎをやっていたことを思い出した