平成17年5月19日(木曜日)
昨日は夕方から新潟で打ち合わせがあったので新潟市まで出かけていった
その出かけていったビルのサインマークがチョットおもしろかった
女性用はこれだ
ま、打ち合わせの後は、軽く一杯ということになり
駅近くの居酒屋でワイワイガヤガヤと
そして、新幹線の最終で長岡に戻ってきた
新幹線の階段を下りると、いつも見慣れたものではあるが
花火のレプリカントがおかれている
右端の大きな花火は二尺玉、小さなものが五寸、奥の中が見えるようになっているものが一尺玉だ
三尺玉はこの写真の左に中が見えるように置かれているが
それがほこりまみれになっていて惨めなものになっていた
掃除機でほこりを吸い取ってやりたい気持ちがした
今年は大勢の人が花火を見学に来るだろうから、そう、それも復興大花火として今までにない企画が進んでいるから
ぜひとも、花火の前にはこの三尺玉のほこりは何とかきれいにしてもらいたいものだと思った
そう、復興大花火の実験が先日信濃川で試し打ちをしたようだ
フェニックス花火とか名付けたようだがこの花火
今までどこにもなかったすごいヤツと聞く
なんでも、今までの花火は長生橋から大手大橋までの間で花火を打ち上げていたが
なんと、なんと、もう一つ下流の長岡大橋までの範囲で花火を揚げるという話だ
迫力満点の長岡花火の話題がまた一つ増えるようだ
そう言えば、海の柏崎花火の桟敷予約案内が先日届いていたが
残念ながら私は今年は海の柏崎花火に行けない
昨年見た尺玉100発同時打上は迫力満点だったことを思い出した
花火のレプリカントの脇に説明が書いてあった
「長岡市の大花火」と題して、以下のように書かれていた
「長岡大花火は、江戸時代、長岡藩主の牧野忠雅の時代、天保十一年に川越移封の命がくだり、翌天保十二年、それが沙汰止みになったのを祝って「合図」を打ち上げたものがその発祥とされ、本格的な花火大会の開催は明治十二年九月十四日、十五日の二日間に渡って行われた千手町八幡様の祭礼に四寸、五寸、七寸を合わせた三五〇発の花火が打ち上げられたものがその最初とされています。」
花火のレプリカの台座壁面に明治期の「煙火目録」なるものが張ってあった
いままでこんなものが張ってあるなんてわからなかった
花火のレプリカの後ろを見ると
初めて見かけるポスターだが、けっこう目立つ「牛の角突き」のポスターが貼ってあった
そう、なぜ今まで山古志の錦鯉やら牛の角突きなどの宣伝がなされていなかったのかと思った