平成17年5月14日(土曜日)
雪形がまだ見える、川の字の逆さということで、結構しっかりした字だ
では逆さまにしてみると、そう、きれいな川の字になる
公園の緑も段々しっかりした色になってきた
平成17年5月14日10時44分E138°50′49.65″N37°26′21.44″での写真
公演になにやらテントができている
公園の向こうの保育園の先に神社があってお寺がある
お寺は興国寺、手前には八幡神社、その手前の保育園は長岡南部保育園、そして公園は八幡公園
地図を見るとそのようになっている、いや、漏れていました
お墓のあるところが興国寺、手前は八幡神社なのだが、その途中に公民館がある、そう地図を見たらそうなっていた
公園が八幡公園というなんて地図を見て初めて気が付いた
そう、この八幡神社の八幡なのだが
これが結構歴史のある神社のようだ
明治12(1879) 「千手町八幡神社の祭礼で花火が打ち上げられる」と長岡市略年表に記載されている
「本格的な花火は、明治12年9月14日と15日の2日間、千手町八幡神社の祭に長原などの遊廓関係者がお金を出しあって、四寸、五寸、七寸をあわせた花火350発を打ち上げたことが最初の花火大会といわれています。」(長岡ミニ歴史館)
昔はこの辺りは長岡のまちなかではなく、郊外の畑や田んぼの続く場所だったと想像できる
それは長岡の江戸時代末期の地図を見ると柿川よりも南は郊外というイメージが伝わる
柳原から続く千手の通りは宮内を通って魚沼、三国、群馬方面へとつづく三国街道への道筋だから
街道沿いは住宅が続いていたと思われるが
そこから一歩裏に入れば畑や田んぼだったのではないかと思う
そんな中にある八幡神社の裏手は田んぼや畑で花火を上げることも十分できた空間があったと思う
そして、遊郭は柳原の旧市役所裏手の地区だから
ちょうど花火が上がれば良く見えたところだと思える
この八幡神社は結構由緒正しい神社だと思えてきた
駐車場の庭木、木の種類は知らない
今日は地元で講演が入っていた、その後も懇親会に招待された
懇親会に参加すると、どうしてもキチンとした食事ではなく、高カロリーなものになってしまう
懇親会を途中で早めに退席して帰宅しようかと思ったが
考えてみれば今日は家内も懇親会があって誰もいないことを思うと、ちょっと殿町に寄って帰ろうかと思い
殿町に足を向けた
人通りが少ない、というよりほとんど歩いていない
と思って通りを歩くと
店の看板の影や小路から客引きの男性やらお店の女の子やらが私の姿を見てゾロゾロと近づいてくる
久しぶりな店に入ってみた
手作りのお通しが用意されていた
帰り道、歩いていると懐かしい日本の家屋という雰囲気のお宅が目に付いた
マンションのロビーに八幡神社のお祭りがあると案内が張ってあった