平成17年5月4日(水曜日・祭日)その3
15
山本記念館からさて、予定では河井継之助邸跡を見て如是蔵博物館というコースなのだが
如是蔵博物館は4時で入館できなくなるということで
すでに4時をすぎているので入館できない
どうしようかと思って
どうせなら公園巡りをしようと思って
今まで立ち寄ったことのない平和の森公園に寄ってみようと考えた
場所は山本記念館からさほどの距離でない
公園にはいると、「非核平和都市宣言」が刻み込まれている碑が目に入った
そう、長岡は戦災でまちが焼けてしまっている、その思いからこの平和の森公園ができた
ここはきれいに造られた公園だ
公園の中央にある丸いテーブルのような場所には
若いカップルが寝そべっておしゃべりしているようだ
公園の中はきれいに造られている
そうそう、これこれ、この像はたしか、昔は駅前のロータリーに置いてあった
こんなに近間で見たのは初めてだ
清楚でいて意志の強い顔をしている
平和の像の台座には「1951年11月3日 建設 新潟県教職員組合 ・・・ 」と記されている
実に懐かしい感じのする像だ
正面の台座には以下のように書かれている
「1945年8月1日 ここ長岡に投下された数千の爆弾は いたいけな280余のいのちさえうばい去った その霊をなぐさめる道は
一すじに 平和をまもり戦争をなくすることだ」
ここのシンボルマークはなかなか凝っている
よく作り込まれている公園だ
これは鳥小屋風に作ったスピーカーだ
人が近づくとセンサーが働き鐘の音が聞こえる
この公園の全体図だ
なにやら三角形のピラミッドパワーではないが
宇宙とのネイチャリングする場所のような
ま、宇宙までいかなくとも自然とのふれあいの場所をイメージして作られたすばらしい公園だ
設計者の思い入れがかなり入った公園ではないかと想像する
石の置き方一つとっても、全て計算された
環境をキチンと考えた
川の対岸もプランニングされた公園
中央のこのラインは水が流れる設計のようだ
石がキチンとプランニングされている
この円になっている石のサークルのなかに不思議な力が
中心に立つと、川を挟んで対岸は観客席のように石段が作られている
ここが中央、なにか古代の舟石というのか、不思議な溝のある石のようだ
この中心にいると、なんとなく心が和らぐのだろうか
散歩していた親子が段々近づいてきた
自然と私も声を掛け、子供が無邪気に近づいてきた
何となくうち解けてネイチャリング
そう、何か不思議な場所なのだ
川の流れも
光の反射も
昔、ここまで信濃川から船が上がってきていたことも
全てを飲み込んで、ここに何か新しい力が生まれようとしているように感ずる
石段の上には桜の木と洒落た街灯が
対岸から見ればお寺の屋根がどっしりと見える
全てを飲み込んだようにこの平和の像が建っている
はじめてきてみたが、ここはすばらしい環境だと感じた
こんなすばらしい環境で何か長岡の、長岡らしい企画はできないかと想像する
舞台とかんがえれば、すばらしい野外劇でも何でもできそうだ
長岡にこんな素敵な場所があったなんて
これは考えねばならない
この平和の森公園は15番の場所です