「地震の記憶が消えないうちに」

10月23日(土) その7

 懐中電灯と月明かりに照らされながら小千谷に向かって歩き出した。道路は至るところで亀裂が入り、アスファルトはめくりあがり、道路の端は崩れ落ちていてとても危険な状態だった。そして錦鯉用の池が崩れてしまったところでは、水が溢れてたくさんの錦鯉が道路で生き絶えていた。そしてどこの集落でもみんなが外に避難していた。火事の現場ではまだ火がくすぶり続けていた。地震と同時に家が倒壊し、薪ストーブだったためにすぐに火が広がってしまったそうだ。しかしそこの住人はみんな無事だったとのこと。その近くには消火活動に使うことができなかった地域用の消防ポンプが無造作に置かれたままだった。

そこから先には橋がある。橋と道路との境では大きな亀裂があり段差ができていた。そこには小千谷市内や長岡に向かっていた業者などの車が数台止まっていて、みんなが車から降りて一台の車のラジオを聞いていた。そこでまた強い揺れが襲ってきた。「そこの山から岩が転がり落ちてくるかもしれない」と誰かが言い出し、すぐ近くにいた人が「この車の陰に隠れろ」と私たちを引っ張ってくれた。その予想通り、大きなものではないがすぐ近くまでいくつもの岩が転がり落ちてきた。それでも近所のおばさんは「もう少し行けるところまで行ってみたい」という。私はついて行った。段差の部分を二人で超え、そして橋は揺れて落ちるかもしれないからと走って渡った。

女滝トンネルの手前の道路まできた。するとそこはひどいことになっていた。道路が数十メートルにも渡って砕け落ちていた。とても歩いて進むことなどできない。ちょうどそこで地震に合った人が座り込んでいた。「最初の揺れで車からなんとか降りられたから命が助かった。そうでなければ車ごと川に落ちていた」と言う。その言葉を聞いてこれ以上進むことはあきらめた。朝を待つことにしようと、私たちは今来た道をまた戻った。


「 小千谷市小栗山地区と浦柄地区を結ぶ途中の景色。この山も崩れている。」(11月23日撮影)

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