平成17年3月23日(水曜日)

今日も余震があったようだ、それより仮設住宅に入っている独身男性が風呂の中で死んでいたという
死後2日ほど経っていたという
私の手元に復興プランの素案がいくつか送られてくる
年度末を控え段々具体的な計画が出てきたようだ

今朝は霧が出ている

眼下のお宅の屋根の雪はドンドンなくなっている

長生橋も霧で良く見えない

バイパスを走っていると霧の中で街路樹が整然と並んでいて美しい

お客様のところで昼食を頂く

新潟市の辺りは雪もなく霧もなかったが
三条をすぎて中之島近辺に来たら田んぼに雪が見え始め急に霧が目立ちはじめる
この霧は外気が暖かくなって、地面に残っている雪の冷気に触れて霧が起きているのだろうかと思った

ひょんなことからおもしろい本を買い求めて一気に読み始めた
私が小さい頃、小学校の校内放送で昼食の時間に流されていた昔話
「むかしあったてんがのぉ〜」で始まり「息がポーンとさけた」でおわる昔話を聞いた覚えがある
それは水沢先生という学校の先生が昔話を集めて研究しているという先生がおいでで
その先生が長岡近辺の「おばば」から集めた話を本にしていると聞いていた

その後、私は地元の出版社によるこの水沢謙一先生の本を目にすると買い求めて読んでみたりした
ある時、私が地元税理士会で長岡には民俗学で有名な先生がおいでだ、そんな地元の先生から
ぜひお話を聞きたいと話したら、ある税理士先生が「じゃ私のおじさんだから頼んでみましょう」といって下さって
その後、直接私が水沢先生のご自宅までお伺いして講演を依頼した
先生は、私はもう年だからあまり得てではないが、と言われていたが親戚の頼みもあるからと引き受けて下さった

その折り、私は一つの疑問を先生に直接ぶつけてみた
先生の著書を読ませてもらうと日本の昔話はシンデレラ型だの、何型だのと分類され
それはみな西洋の白雪姫の物語だのと同じルーツで大陸を通って樺太を通って日本に伝わってきたということですが
本当にシベリヤをとおって日本に伝わったのですか、と

私としてはそんなに昔にシベリアを通って樺太を伝わってお話が口伝えに伝わってきたと言うことが不思議でならなかった

そんな私の質問に水沢先生は一言「そうだ」と言ってあとは特別に説明も何もしてもらえなかった
先生に言わせれば、何を今さらということだったのだろうか

それから、お願いした講演の当日、先生は1時間半の講演予定時間を30分くらいお話しされたところで
「みなさんこれから懇親会が待っているのだから、私の話よりそちらが良かろうから私の話はこれくらいで終わりましょう」
と言って終わろうとされたので担当者であった私は1時間も早く切り上げられても懇親会の準備は予定時間でしか動かないから
困ってしまって
私が先生に色々質問する形で話をもう少し続けてもらって、急場をしのいだ記憶がある

そんな講演会から1,2年したときだろうか、水沢先生がお亡くなりになったと聞いて、あの講演が最後だったのだろうかと
そして先生に無理に講演をお願いして申し訳なかったと、しかし、地元のすばらしい先生にご存命中にお話を伺う機会があったことに
私は感謝して、先生の葬儀に香典をお持ちしたことを覚えている

ところで、私が買い求めたこの本「忘れられた日本人」は宮本常一という方でご出身は瀬戸内海にある島のご出身
日本全国をくまなく歩き回られ日本民俗学の一分野を確立された方だという
この本の中で長岡の水沢先生の名前が出てくる
どうも日本人は西の民族と東の民族では違うようだ、この本を読んでいるとそんな気がしてきた

結構おもしろく読める、とくに年寄りが自分の一生を一人語りする話は実に興味深く引きづり込まれるように読んでしまった

そして、どうもこの宮本常一という先生は山古志にも大変興味をお持ちだったようだ

私が不思議に思うことがある
いつだったか「武家の家計簿」とか言う本だったかと思う、金沢藩の経理担当の武士が残した家計簿を解読しながら
江戸時代の武士の生活を書いた本だったと思う
この本を読んでいたら主人公が明治維新を迎えてその後明治政府の要職について行くことになるが
江戸時代の様子から明治に移った瞬間、なにか時代が急に変わったような、天と地が逆になったような感覚に見舞われた
江戸時代は遙か向こうの異次元の話だと思って読んでいたら、年数にしたら10年もしないうちに明治になって立場が変わってしまう
激動の歴史の中で世界が変わる

これと同じことがこの本、「忘れられた日本人」を読んでいて感じた
すなわち、戦前の生きるだけで精一杯だった農村の生活を、へえー、なるほどね、と読み進めていたら
戦後になって急に農地解放で、そして耕耘機が入って農村の生活が一変してしまう
また村に道路ができて世界が変わってゆく様がありありと書かれる

時代の変化の節目というものがある、時代の変わり目というものが必ずある
その変わり目にキチンと対応できないでいると取り残されて苦境に立たされてしまう
時代を生き残ると言うことは「環境の変化に対応する」 と言うことなのだ
そんなことをこの本を読みながら改めて感じた

そして、ライブドアと日本放送の騒動を見ていると今まさにその時代の変わり目なのだなと思っている

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