平成17年1月14日(金曜日)
グランドホテルの2階ロビーからガラス張りの外を見たところ
長岡グランドホテルは隣がセントラルパーク
なにかセントラルパーク等というとニューヨークのあの大きな、広大な都市の真ん中にある公園のように思えるが
ここはそんなに大きくないというよりあまり活用されていない公園だ
昔、この公園とこのホテルの場所は米百俵の坂之上小学校が在った場所と聞く
私の記憶では、小さいとき、ここの空き地に柴田サーカスが来て
親からお金をもらって兄弟や近所の子供で見に来た覚えがある
ところが、入場料を払って中に入ったところで
さらに座布団代を払えと言われ、そんな余計なお金なんか持ってきていないから
困ってしまってイヤな思いをしたことがある
柴田サーカスというか、こういった興業はあこぎな商売をしていたという印象が強い
そうそう、その小学校跡地に、そのころ長岡にはお客様をお呼びしても
十分な宿泊しせつ、というより旅館でないホテルが無いと言うことで
それから宴会や結婚式場のいわゆる近代的なとでもいおうか
東京などでは当たり前のようにあるシティーホテルがないということだろうか
それで、長岡市の肝いりというかお金入りというか
ホテル運営のノウハウがないからホテルサンルートというチェーンに運営を委託して
長岡の近代的なホテルをこの長岡の一等地に建てた
まさに恵まれたホテルだったはずの建物なんですよ
だけど、恵まれているだけではダメなんですね、といより恵まれていることはダメなんでしょうか
ハングリーでないことがダメなんでしょうか
駅の反対側に農協の施設がドーーーンとあったのですが
それを取っ払って再開発しようと言うことで
これまたダイエーと大きなホテルを駅のすぐ近くに作ったんですよ
そんななかからホテルの競争が激しくなったり
駅前にドーーーンと店舗を構えていた繊維関係の問屋さんなどが
駅前から撤退する中でホテルが乱立し始め
だんだん厳しくなってきた
恵まれている環境の中で、今まで通りの経営を続けてゆくと
だんだん売上が厳しくなる
競争が激しくなるモノだから、値引きやいろいろな交渉がなされたり
ま、けっきょく「不明瞭」なことが起きてしまったりして
今はその立て直しのために経営陣が入れ替わったりいろいろ努力されているようだ
わたしは、この現在の長岡グランドホテルに頑張ってもらいたいと思っている
なぜならば、ここのオープン最初の結婚式が私の結婚式だったモノで
いや、全く最初ではないのですが・・・まほとんど最初の、です
愛着があるのですよ
そんな意味で、頑張って欲しいなと思っていますよ
先日も、このホテルの現在の責任者の方とお会いして
そんな話をしたんですけれどもね
「和をもって貴しとなす」です、長岡青年会議所の今年のスローガンだそうです
今年の理事長は桐生君
玉源でしたか、事務機関係の販売会社だったと思いますが
私は、彼のお父さんが印象的だったですよ
昔、私があるお店にフラッと入ってそのお店の棚に不似合いな本が置いてあったのですよ
「邪馬台国は越後にあった」というようなタイトルだったと思いますよ
なんと不似合いな本が置いてあるなと思って店員に聞いたら
当社の社長が書いた本だということで、興味半分で買って読んでみたんですよ
これが結構おもしろかった、なるほどそういう考えもあるかと思ったんですよ
栃尾と長岡の境とでも言おうか、森立峠を超えたところに軽井沢という地域があるのですが
ここに昔茨木童子という豪傑がいて、というより童子というぐらいだから子供なんですが
異常にでかくて鬼のような怪物とでも言うのでしょうか、ま茨木童子という子供がいて
結局この童子が京の都で名を鳴らして歴史上に登場する人物となるわけですが
それ以前にもたどってゆくと栃尾という地域は何かと歴史のある地域で
長岡の蔵王神社がその要にあるわけで
さらに歴史をたどれば火炎土器の世界まで行くわけで、長岡というか
そう、そのころの新潟県は長岡から先は信濃川が好きなように蛇行して流れていたわけで
「潟」ようするに沼や湖などがあちこちにできていてアシなどが茂っていた場所で
そのまた昔は海だった場所で、新しく「潟」になったから「新潟」なんだろうと私は思っているが
ま、その長岡より先はあまりまとまった場所はなかったのか、どうしても歴史の本を見ていると
長岡の蔵王さん、蔵王神社が新潟県内というより中越、下越では重要なポジションを占めており
火炎土器の世界では西山丘陵が信濃川の蛇行を考えると南向きの肥沃な場所だったのかもしれない
そう、関原とかの川で、私が小さいとき貝殻が岩の間に挟まっているのを見て、こんなに山の中に入ったところで
どうして貝殻があるのか不思議だった記憶がある
そういえば、茨木童子のことを書いて本にした方がおいでだったのを思い出した
確か私もこの本を買わせていただいて読んでいる、けっこう厚い本だったと覚えている
ま、話は脇にそれちゃったですが
それでこの著者は誰だとみたら玉源の社長と、ご出身は栃尾となっていたように覚えていますよ
さらに、確かこの社長さんは販売士の資格をお持ちで
新潟県の販売士協会か何かの会長だったように思いますよ
その後、私が法人会か何かでこの方の名前を見つけて
初めてご本人を目にすることができたときがなかなか印象的でしたね
古代史など緻密な文献作業をされて本を書く方のイメージって
おとなしい感じがしますが
この方はエネルギッシュなかたで、それより何より
見た目実に印象的な方でしたよ
そんなことで
その方の息子さんがこんどの青年会議所の理事長ということですので
期待したいと思っていますよ、ハイ
ま、市長、市議会議長、長岡商工会議所専務理事、ロータリー、ライオンズ等々
いろいろな方が大勢お見えでしたよ、ハイ
長岡もここ数日の積雪で雪の量がかなり増え、今日は雨交じりの天気だから
この雪に雨がしみこんで屋根の雪が重くなると家の桟(さん)などが締まらなくなったりするモノで雪下ろしをする家が目立ってきた
というよりも、今回の地震で、こんな状況で地震が再度来たら家が持たなくなる、ただでさえ木造二階建て瓦葺きの家は
頭が重くてつぶれやすいといわれているから、その重い頭の上にさらに重い雨をたっぷりしみこませた雪など乗っけていたら
家がつぶれてしまうから皆さん雪下ろしをするわけで
さらに回り近所が雪下ろしをすれば、自分の家だけやらないとなにやら「しょーしい」 、要するに恥ずかしいと言うことになって
早く家も雪下ろししないと「ショーシイてぇ」ということになる
この写真はまちなかを走っていたら、ちょうど大屋根にはしごをかけて雪下ろしをしようと準備している風景に出会ったモノで、パチリ
ここは柳原、大胆な作業です、このお宅自体、半壊でしょうか
回りを見渡すとありますあります、皆さん筋交いをして雁木を支えています
この柳原地区は古い商店街というか商店街だったところというべきなのか
昔ながらの雁木のお宅が残っているもので、木造の雁木はやはり地震でだいぶやられたようです
こちらのお宅、よく見たら壁面を建築用のシートのようなもので覆っているのですよ
そしてひさしの脇の当たりはヒビが入っていましたよ
たぶんお宅の中もカベが落ちたりヒビが走ったりと大変だと思いますね
ま、これは雪をかぶったままになっている自動車というだけです、ハイ
ここのお宅の看板、そう、雁木の中にかけてある看板が落ちないように止めてある
これを見ると、今なら道路を走る車に向けて雁木の外や雁木の上に看板を出すところですが
雁木の中に看板が付けてあると言うことは、こちらのお店はかなり古いお店ということ
なぜなら雁木を歩いて通っている人に向けた看板ということから、車がこれだけ普及する以前に付けられた看板だと想像できる
赤い字で書いてあるのは「元祖浪花屋乃」その先は「柿乃種」となる
むかしか言われている「元祖浪花屋乃柿乃種」、そう長岡はなんたって「元祖」浪花屋ですよ、これが正統派の柿の種
亀田製菓とかは柿の種では正統派ではないのですよ、なんたって「元祖」浪花屋ですね、ハイ
今日は三条方面で講演があったもので出かけていったのですが
その途中でコンビニに寄ったとき、たまたま隣の車のサイドミラーに小鳥がとまっていたもので、パチリです、ハイ