「山古志の仮設住宅の様子」 やすよ通信第3号

我が社の社員、川上恭代が私のところに来てこう言った、「社長、写真取ってきましたのでメールで送っておきますね、ネタがないときにでも使って下さい。」ということで、やすよ通信第3号とでも名付けて掲載してみた。

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我が家は12月19日(日)に仮設住宅への引っ越しを終わらせた。その前夜は避難所生活が最後ということもあり、残っていた数件の人たちと遅くまで飲み明かした。引っ越しの朝、目が覚めた私は体を動かすことがままならないほどの二日酔いだった。青白い顔をしたままの引っ越しとなった。


001  私の住む仮設は長岡市陽光台にある。3人家族なので間取りは2LDK。たくさんの救援物資等を頂き、まだまだ片付かない。


002  母が食事の支度をしていた。クリスマスイヴだというのに、今夜のおかずは「サンマの塩焼き」だった。


003  ここがお風呂と洗面台。


004  父が仕事から帰ってきた。今夜は職場復帰して二日目の夜となる。父は地震後、地区の区長の役を果たすため2ヶ月間仕事を休ませてもらった。


005  2LDKの仮設の部屋は、四畳半の部屋が二つ。その一部屋には両親の布団を敷く。ちなみにこの布団は配給品。山古志の家で使っていた布団よりいい物だ。


006  もう一部屋。この部屋は畳が敷いてあり、押し入れのような棚もある。この部屋には私の布団を敷いている。


007  シクラメン等の鉢植えは全国のボランティアさんから頂いたもの。


008  四畳半の部屋をキッチンの方から見てみると、こんなふうになっている。ちなみに部屋への出入り口は引き戸やドアではなくアコーディオンカーテンだ。


009  我が家の仮設を外から見てみる。我が家の仮設には3件が入っている。ちなみに一番手前の木枠が我が家の玄関。


010  仮設住宅の周りが駐車場。雪が積もると除雪もしてもらえる。

地震から2ヶ月。山古志村民の仮設への引っ越しが無事に全部終わり、私たち同級生では「同級会
でもしようか」とどこからともなく話しが出ていた。そんな矢先、役場に勤務していた保育園から一緒だった同級生が交通事故で帰らぬ人となってしまった。12月24日、クリスマスイヴが彼の告別式となった。地震で助かった命だというのに、こんな形で逝ってしまうなんて悲しすぎる。彼は山古志村に上水道を引くために日夜励んでいた。待ちに待った上水道はこの春に完成した。しかし、あの地震ですべての水道管がダメになった。地震の翌日、水道管を見て回っていた彼が言った。「せっかく引いた水道管が全滅だ。悔しい・・・」と。誰よりも山古志村を愛し、山古志村のために命を輝かせいてた彼に負けないよう私たちは生きていかなければならないと思う。
  まだまだ大きな余震がやってくる。震災後、こんなふうに体を張って復興のためにまだまだ自分の
体を使っている人がいるんだということを忘れないでほしい、と言っているかのような揺れにも感じ
た。

                                       川上恭代

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