001 越の大橋と小千谷大橋を渡ったのち、国道旧17号線を小千谷から長岡に向かう道路。目の前はあの皆川優太くんが救出された崩落現場。国道291号線に続く道路がないため、右側を平走する上越線の線路を横切る形で仮道路ができていた。
002 その線路を越え、国道291号線に出てから見た崩落現場。本当にゾッとする。ここは私のいつもの通勤経路だった。あの地震の日は夕方5時過ぎに仕事を終え、地震発生の10分前にここを通って帰った。
003 この家の前は三叉路になっている。三叉路を曲がりこの家の横を奥に行くと、上越線が上を通る小さなトンネルがある。その小さなトンネルをくぐって国道旧17号線に出るのがいつもの私の通勤経路。
004 小千谷市小栗山地区の「目滝トンネル」を抜けた道。目の前の看板は小千谷市闘牛場の案内看板。あの看板を右に曲がって登っていくと闘牛場がある。その道路の一部は土砂や岩で押し流されてしまった
005 警備員の後ろにある土砂があるのが不思議でならない。ここにはガードレールがあり、その下は川が流れていたはず。
006 案内看板を通り過ぎたあとの道。目の前の山肌は崩れてしまい道路はズタズタになっている。車庫も変形している。私たちが通っているのは本来の道路ではなく、歩道を仮道路としたようだ。
007 我が家に到着した。道路の拡張工事に伴い、まだ家の前の道路は完成していなかった。玄関前のアスファルトがひび割れしている。地震直後、私が転んでひざをケガしたのはこのひび割れにつまずいてコケたんだと思う。
008 我が家の台所。地震直後、一度父が一時帰宅して片付けていたため、それほど散乱はしていない。この日、割れた食器類を片付けた。
009 我が家の裏山にある雪止め(なだれ防止柵)。崩れ落ちた木や岩がたくさんのっている。あの地震から翌日を迎えるまでの月夜の中、余震のたびにぶきみな音を立てて裏山がちょっとずつ崩れていた。あの夜は本当に怖かった。
010 我が家の敷地内にある自動販売機。
011 我が家を小千谷方向に向かって見た風景。真中の道は今現在の道。右の白い建造物は、新しい道路用につくられたもの。隙間ができてしまっている。ヘリで非難するまでの間、私たちは近所の人たちとこの白い壁の完成前の道路部分に避難していた。
012 もう一度我が家。後ろに傾いて見えるのは私だけ?父は「絶対に傾いてない」と言い張るが・・・
013 もう一度我が家。傾いて見えるのは目の錯覚なのか・・・
014 我が家の前には川が流れている。地震直後、川ではなく道路に泥水が流れてきて家の前は泥だらけになった。その原因は我が家の先の方にある川に錦鯉用の池などが崩れて土砂が流れ込み堰き止められたからだと思う。これはその堰き止められた現場。
015 我が家のすぐ先にある間内平橋。下の川を流れられなかった泥や流木などが、この橋の上にもまだ残っていた。
016 近所の彼女は地震当日、新潟の友達のところに遊びに行っていた。地震から一ヶ月、ようやく我が家に帰ることができた。彼女の部屋にも行ってみたところ、「この本を見つけたから元気が出る!」と喜びの一枚。
017 一時帰宅の午後。必要最小限の荷物を持ち出したので違う地区を回ってみた。
ここは山古志村役場のちょっと先。竹沢地区の桂谷(かつらや)という地域だ。ここは池谷地区、種苧原地区に向かうトンネルの百数十メートル手前の道路となる。この山崩れは大規模なもので、この会社の前まで土砂がきているだなんて本当にものすごい規模だ。
018 もうちょっと寄ってみる。山の形が変わってしまった。
019 一時帰宅終了の時間となり、ナンバーと人員を確認されたのち、再び朝通ってきた道を戻る。
ここは目滝トンネルの手前の道。地震の翌日、私は小栗山の母の実家が心配で行ってみようと思いここまで歩いてきた。その当時はこの道路はなくなっていて向かうことができなかった。それなのに歩道を使っての仮道路となっていた。
020 目滝トンネル手前。ここもかなりの規模の山崩れ現場だ。
021 こんなに大きな岩が落ちてきていた。この岩に押しつぶされた人がいなくて本当に良かった。
022 小千谷市小栗山地区と浦柄地区を結ぶ途中の景色。この山も崩れている。
023 ここは小千谷市浦柄地区。土砂崩れで川が堰き止められた結果、家の中が川の流れ道になってしまった仏壇屋さんの映像を見た方もいると思う。その結果、この地域は泥水の中に埋まってしまった。中之島・見附の7.13水害と同じような風景となった。
024 自衛隊による泥出し。
025 泥につかってしまった家具類の山。
026 再びあの崩落現場の横を通る。何度見ても背筋がゾッとする。
027 小千谷大橋を通っての帰り道。遠くに見えるのが崩落現場。
028 同じく崩落現場。
029 避難所に戻ってみると、山本リンダが慰問に訪れていた。「こまっちゃうなぁ〜」と歌っていた。避難民の私たちもどう反応したらいいのか困ってしまった。けれど、芸能人オーラはやはり漂っていた。困ってしまったとは言いつつも、握手はしてもらった。
山古志村の私たちは、大勢の方たちからの応援や支援の中で生活させてもらっている。そんなみなさんの思いに応えるためにも、美しかった山古志村を必ず取り戻したい。こんなひどい風景ではなく、美しい山古志村をもう一度見てもらいたい。
川上恭代