平成16年11月18日(木曜日) 雨

長岡商工会議所が会員に配布したポスター

長生橋たもとの信号待ちで脇のお宅を見上げたら屋根のブルーシートが敷かれ
その上に瓦がばらまかれて置かれているのが目に入った

長生橋のたもとの交差点で見上げた看板
左に行くと喜多町、柏崎と書いてある、長生橋だから橋のマークがあると思ったら書いてなかった

喜多町の元長崎屋があった交差点の少し手前、長生橋寄りにある
カラオケ屋さんの明かりに照らし出されている建物

喜多町からバイパスに乗ってインター方面に向かったところ、右の青いネオンは
ゲームセンターの建物、左の建物はコジマ電気

山古志村の仮設住宅がスペースネオトピア予定地に作られると聞いていたので
どんなかと思っていってみたが、ただただ真っ暗な空き地でわからなかった
その先の県立歴史博物館まで行ってみたが、ここも真っ暗

臨時休館中と書かれていた

入り口付近に置かれた火炎土器の立像も真っ暗で写真に良く写らなかった

そこから関原方面に下りてきたとき右側にこうこうと明かりの点いたところが目に入った
たぶんこの明かりでこの場所といえば、関原自動車学校ではないかと思う

道路の脇に馬高遺跡の案内板があった
ここは、長岡の西側丘陵地帯で、戦前、親子で考古学に高い関心を持った方がおられて

その方が、確か近藤さんという方だったと思う、戦前のある年の暮れ、12月31日の日に

この年は年末に雪がなかったようで、自分で確保した遺跡の発掘場所を掘っていたら

驚くべきことに炎のような飾りの付いた土器が出土した、これが「火炎土器」の第1号で

その後、戦後まもなく開かれたヨーロッパでの万国博覧会に依頼されて出品したが

戻ってきたときは石膏か何かで型を取られ、その型どりの時の処理も十分でない状況で

要するに粗雑な扱いをされて戻ってきたことから憤慨して、それ以降二度と公共の所には貸し出さない

として個人所有されてきた文化財だったもので

その後、どのような経緯をたどったかは知らないが、ここ歴史博物館に保管されている

ところが、今回の地震で倒れたらしく、一部破損したという情報が私に入っている

ちなみに、この火炎土器と同じものを現在、関原にお住まいの方が作って販売しているということで

長岡技術科学大学に昨年インキュベーションセンターができたときに、記念品として火炎土器を

我が社が贈呈しようと言うことで制作依頼したことがある

この制作者は聞くところによるとご高齢らしく、あまりもう作成していないと言うことで

ヘタをすると私どもが依頼した一番大きな火炎土器が最後になるかもしれないという話を聞かされた

そのときの写真があったので掲載しておく、時期は今年の1月になっていた

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