新潟県中越地震二十四日目 雨
日本海に浮かぶ海底油田の掘削基地がみえる、船ではありません、でかいプラントです
日本海の11月、海岸線沿いの防風林の中を真っ直ぐ進む
今日は長岡から高速道路を使って2時間ほどの所へ出張
ちょうど私の会社に電話していたら「あ、来た、地震」と電話の向こうで騒いでいたが
100キロ以上離れたところではグラリともしなかった
しっかし、毎週月曜日になると人の気持ちを削ぐようにグラリとやってくる、さすが人の気持ちの削ぎ方を熟知した業師の仕事だと感心する
夕方、長岡に舞い戻ってみると、ブルーシートで家の入り口を封鎖した家があった
屋根に登って瓦の修理、ここは今頃修理に来てくれるのだからまだ良い
雪の降り始めるだろう今月末までに修理に来てくれれば良い方という
私がいつもサイドバックに入れている懐中電灯
それからすぐ使えるように携帯電話用の充電池、このほか最近購入したカーバッテリーからの携帯用充電コードが車に入れてある
今の私の車にはミネラルウォーターのペットボトルが後部座席にいつも置いてある
とにかく地震になって何が不便かというと電気絡みのもの、電気がないとどうにもならない
水はけっこうあちこちで配ってくれるが電気関係は不便する
テント生活の社員の話では、各地区に自家発電付きの懐中電灯とラジオが配られたとか
何でも90回ハンドルを回すと20分ラジオを聴けるとか言う代物らしい
けっこう疲れるから電気がないときは使っていたけど、電気が通じたらだれも使わなくなったとか
そうそう、彼の子供が学校に着の身着のままで登校したら
帰ってきたときには、アディダスの新品トレーナー上下にナイキの新品運動靴と新品の教科書をもらって帰ってきたという
正札を見るとけっこうな値段が付いていたという
今日、お邪魔したお客様が、被災地から来たと言うことで何を持って行ってもらおうか、ホカロンか水かと聞かれたが
ハッキリ言ってホカロンも箱単位であるし、水もケースである、もちろんカップラーメンもあれば何でもある
そんなことよりそもそも車でこうやっていくらでも出かけてこれるから品物がなければスーパーでもショッピングセンターでも購入できる
モノはたっぷりあるからと丁重に辞退してきた
つい被災地だとモノがないのではないかと思われがちだが、それは最初の三日間
もうすでに3週間も経っているからモノは全然不自由していない
また、ボランティアに何かお手伝いを、という話もあるが
ボランティアにお願いできるのは単純作業だけで、「この部屋のモノを全て捨てて下さい」というようなことはお願いできても
あれをこうして、これをああして、等というとそう簡単にはいかなくなる
さらに、見ず知らずの人を家の中に入れることに不安が残る
近所の知り合いのお兄ちゃんに手伝ってもらうならまだしも、いくら善意でも見ず知らずの人となるとチョット躊躇してしまう
結局自分のことは自分でしなければということになる
私が車に貼り付けているマークです
http://www.neos-design.co.jp/ouen/index.html