2004年11月14日(日曜日)曇り (川口町の様子)
国会議事堂が傾いているが、これは車の中から写したので地震で傾いたのではありません、ハイ
国立競技場がきれいに見渡せる
いよいよ帰りの新幹線に乗り込む
上越新幹線は湯沢までの折り返し運転、毎時間ちょうどに発車
上越新幹線の車内にはいると何となく乗客の服装が違う
スカートをはいている女性など見あたらない、みなズボンに帽子を被っている人がめにつく
車内は晴れやかな感じがしない、地味な雰囲気がする
車内のインフォメーションも地震のことが最初に流される
1時間半ほどで湯沢に到着
到着すると代行バスによる振りかえ輸送の案内が、ハンドマイクを持った係員にせかされるように誘導される
通路にも係員がハンドマイクで追い立てるように案内している
川端康成、小説「雪国」の駒子の人形などだれも見る人はいない
私は新幹線のホーム下にある駐車場に車を泊めておいたので、三日ぶりに車に乗って駐車料三千円を支払って帰路につく
来るときは50キロ制限の高速道路
考えてみれば50キロ制限じゃ一般道路より遅い、高速道路ではない、有料道路と考えるべきなのだろう
ま、高速道路を走ってみて小出から湯沢の間は全然問題なかったのでどうしようかと考え
湯沢から小出まで帰りも高速を走って、小出から一般国道を長岡に走ってみようと考えた
浦佐近辺の高速道路、右側に八海山が雲の中に見える
実に快適に走った、今回は小出までは80キロ制限となっていた
夕方だったから湯沢から小出に向かう車の量はあまり無く、反対車線、東京方面に向かう車はそこそこの量だった
いよいよ小出からインターをおりて国道17号線を川口方面に向かった
小出から堀之内にかけてはさほどの被害は目に入らなかった、というより倒壊した建物などすでに整理されていたようだ
17号線で一番の問題カ所となった川口町に入る直前のトンネルに近づいた
片側交互通行で渋滞していた
トンネルに近づけば、そのトンネルの直前に大きな鉄の四角い筒のようなものが並べられていた
この筒が置かれているから片側一車線しか通行できない
トンネルの中は両側にパネルのようなものが車の高さぐらいまできれいに貼られていた
トンネルを出ると、また先ほどと同じように四角い筒のようなものが並べられている
トンネルを抜けてしばらく行くと川口町に入る橋がある、その橋の手前で壊れた車
橋を渡りながら上流を見ると新幹線の橋が見える、ここは電気が付けられて何か作業をしている雰囲気だ
川口の町に入る、先日も車を止めて寄ってみた道の駅
先日は避難所として使っていたので道の駅としては営業していなかったが、今日は営業中と看板が出ていた
避難所としては閉鎖されたのだろうか
川口町を通る、左が川の土手で右が町、車が国道にズラーーッと止めてあった
右側の町内は電気が通じたようだが住宅の中には電気の明かりが目に入らない
建物の外にある看板などには電気がともっていた
町内から少し離れたところにテント村が目に入った
そこでは集会場のようなオープンテントに明かりが灯り人が集まっていた
川口町から小千谷市に抜ける国道がやはり片側通行となっている
この道路がなかなか渋滞していた
そうそう、昨日見たテレビ東京の女性アナウンサーが小千谷のことを「^お_ぢ_や」と前にアクセントを持ってくるところ
「_お^じ−や」と真ん中にアクセントを持ってきて話していた
何か鍋料理の後でご飯を入れて、溶き卵をまぶしてつくった「おじや」のような感じであった
NHKのアナウンサーはそんなおかしなアクセントでは原稿を読んでいない
ここの工事は突貫工事で大変だ
結局、川口町は町から小千谷に抜けるこの道と、反対に小出に抜ける先のトンネル
この両方が地震直後通行できなくなったため陸の孤島となってしまった
この後は小千谷の町の中へとハンドルを切ってみた