2004年11月08日(月曜日) 晴れ
お昼前、ガッツンときた、震度5だという、またまた社内は騒然とした
不安がよぎると何もできなくなる
おかげで地震予知の感性が磨かれてきた
私には地震1秒前の予測が付く
まずガッツンとくる直前に、空気が動く、ミシッと動く、その後にガッツンと来る
だから空気がミシッと動くと身構える、ビクッと身構える
これがけっこう疲労を呼ぶ、思考を中断させる、私のエネルギーを奪い取ってゆく
みんなのエネルギーを奪い取って、また地震のエネルギーがふくらんでいるのではないかと勘ぐってしまう
気力を削いでしまう
地震が放出したエネルギーの分を、今度は我々からエネルギーを奪い取っているのではないかと思うぐらい気力が無くなって行く
こんな状況では中越地域全部がダメになってしまう
我々のエネルギーを取り戻さねばと考える
そうだ、笑いが、笑いのエネルギーが欲しい
長岡の演劇人よ、笑いと楽しさのエネルギーを中越に送り込めないか
ハッピーエネルギーを中越に送り込んでくれ
そんなことを思い始めている
そうそう、この昼前の地震直後、早速携帯の使い始めと思って母親の携帯に連絡してみた
まさか、携帯を忘れたとか、鞄の中に置きっぱなしにして外に逃げ出したとか思いながら電話した
しばらく呼び出しが続いて、やはり忘れてしまったのかなと思った瞬間
息を切らせて電話に出た
電話をしている最中にも余震が続くので無事を確認してすぐ携帯を切ったが
母親は何とか携帯の使い方には対応できているようだった
彼は開業医、自宅に帰ってきたところでたまたま見つけたので声をかけた
彼によればちょうど昼前の地震の時、点滴を何本も患者さんにしていたので、どうなるかと思ってヒヤヒヤしたという
同じ医者でも外科のドクターがメールに書いていた、ちょうどそのとき手術中で、左手を離せば出血する状況で機材などが
彼の頭にでも当たって倒れてしまったらどうしようと思ったというようなことをメールに書いていた
長岡のまちの中心街、明かりが安心感を与えてくれる
この風景を見ていると、地震なんてどこの国の話というような雰囲気がしてくる
今日から全ての学校などが開始したためか、マンションのベランダから見える保育園は
夜遅くまで電気が点いていた、久しぶりの明かりが見えて、いわば手先までやっと血が通って暖かくなったような気分にさせてくれた
私のマンションから見える我が社の隣のローソンの明かり
写真左に見える赤っぽい明かりは、我が社の大型ポール看板とそのライトの明かりだ
長岡市役所の建物は各階明かりが点いて職員は残業に追われているようだ
これは、手前の点々と横一直線の明かりのつながりは長生橋の車の明かりだ
長生橋の車の明かりの向こうは、川西地区の郊外型商店街の明かりだ
地元新潟県の新聞、新潟日報では、地震の1週間くらい後からだろうか
新聞の1面に必ず赤字で「地震に負けず、がんばろう!」という文字を刷り込んでいる
この写真は今日の夕刊の1面だ
川口町からようやく出社してきた社員と帰宅間際話していたら
テント生活はどうだと質問すれば
車生活よりはいいが1週間というと参ってしまうという、これからいつまで続くかと考えると嫌になるという
テントの中は寒くないかと質問すれば
床に発泡スチロールのブロックのようなモノを敷いてテントの中にストーブを入れられるからそんなでもない
ただ、雨が降ればやはり雨が浸みてくるとのこと
テントの数は足りているのかと聞けば、いままで市外の親戚の家などに避難していた人が子供の学校が今日から始まるので
川口に戻ってきたのでまた需要が増えテントの数が足りなくなっているという
川口町はそもそも山と川の間に線路と国道が走ってその間に住宅が密集している所だからテントを張るにも場所がない
一時河川敷にテントを張っていたが、例の自然ダムの決壊騒ぎで河川敷にもテントが張れなくなってしまい
なおさらテントを張る場所が無くなっているという
ライフラインはどうかと聞けば
電気は通って水道も通ったのだが、下水がダメになっているので水を流しながらの作業ができない
風呂は自衛隊の風呂に入っている
自衛隊の風呂は大きなテント地でできた風呂で、外からお湯がパイプでくべられるようになっているという
危ないから家の中に入ってはいけないと指示は出ているのだが、みんなお構いなく家の中に入って少しずつ整理しようとしているが
実際、何から手をつけたらよいのかわからない状態だという
それでも、彼の家は壊れなかったから良かったという
写真を見せてもらったら、彼の家の裏手の山が崩れて家の脇に堆積していた、これがもう少し家寄りだったら家は壊されていたろうという
地震の時、彼の家族は皆家にいて、奥さんは天ぷらを揚げている最中だったという
地震直後に電気が消えて真っ暗になり
食器棚か何かが崩れてきたのを片手で押さえ、そのとき手はガラスなどで切ったのか血だらけになって
あわてて飛び出したが、天ぷらの火を消そうとまた家の中に舞い戻って火を消し
子供や家族を連れて外に逃げたという
後から確認したら、倒れた家具の裏側に奥さんの手の跡が点々とついていたという
真っ暗闇の中で倒れた家具の上を伝って逃げたようだという
ちなみにこの彼の奥様は我が社の元社員だ
小千谷市からの社員は自衛隊の風呂に入ってみましたとそのときの経験を聞かせてくれた
「まるで芋洗いですよ」と、風呂の中はドロドロ状態だったという
しかし、数日すると様子は変わってきたようだ、ライフラインが通ってきたら段々自衛隊の風呂に入る人は少なくなって
「私一人で楽々入ってました」というような話も聞こえ始めている
山古志からの社員は会社のすぐ近くの高校の避難所から毎日通ってくる
避難所では今日はボランティア散髪やボランティアラーメンがあるという
退屈だろうから雑誌でも持ってゆくかと聞いたら、毎日なにか雑誌の差し入れがあるという
そして、自分だけ特別勝手なことをすると他の人に悪いから・・・という
山古志村は全員で同じ所に集まって行動しようと言う結束力の強い印象を受けたが
私が思うに、段々と地域のコミュニティが崩れてゆくのではないかと心配している
さらに、例の新幹線が止まった近くに住んでいる社員ともう一人、自宅がほぼ全壊の社員がいる
彼らもいまだ避難所からの出社だ
今日、昼前ガツンという地震が来た、震度5だという
何となく立ち直りかけて月曜日からさあ頑張ろうという出鼻を、まさに「ガツン」とくじいてくれた
うちの社員が言っていた、「毎週月曜になると地震が来るようですね」と
そんな感じがする、立ち直ろうとするとガツンと叩かれる、そんな感じがする
落ち着いてものを考えることができない
じっくり論文を読む気力さえ奪い取ってしまう
行政の動きを見ていて思う
最初は長岡市が大変だということで長岡に援助の手が集中した
次は小千谷市が大変だということで小千谷に援助が集まり始めている
そしてようやく川口町が大変だということで川口の対策が考えられ始めている
しかし、中越地震と命名されたのだから、中越地域全体で物事を考えるべきだと思っている
先の川口の社員が言うように、川口の学校を開始するからということで町外に避難していた子供達が
川口町に、被害の一番激しくて場所のない川口町にわざわざ戻ってきてテント生活を余儀なくされる
たったら、被害の少ない長岡市で川口の小中学校を受け入れてこちらに避難してもらう方がいいのではと
考えても見た
しかし、山古志村程度の人数なら何とか長岡の坂之上小学校と南中学だけで受け入れられるが
川口の小中学校というと規模が大きくなって難しいのかもしれない
もう一つ気にしていることがある
長岡の施設や職員数は小千谷市や川口町より遙かに勝っているのだから、なんとか中越圏ということで
中越圏全体を考えた横の情報ネットワークで助け合うことを
この時だからこそ考えるべきではないかと思っている
そもそも、そういう仕事は県の仕事だというかもしれないが、県の対応まかせでなく
我々中越地域の中越地震なのだから我々が、長岡が積極的に行動をすべきではないかと考えている
現在の救援物資の状況や作業の進行手順情報やボランティアの状況や、その他色々な情報を
中越圏と言うことで情報を共有して流してゆくだけでも助かるのではないかと思っている
インターネットは一番強固な災害に強い情報インフラだから
中越行政データーベース共有掲示板等というものを一時的にでも立ち上げることは可能ではないかと思っている
地元のCATVが有効に機能している
長岡市の災害対策連絡会議が毎日朝晩開かれている
その模様を生中継で毎回流している
これが長岡の状況を把握するには一番わかりやすい情報源だ
それにしても、当初はカメラに付いているマイクで音を拾っていたので
顔がカメラに向いているときは音声が聞き取れるが、顔がカメラに向いていないときの発言など聞き取れなかった
それが段々進歩してきて、音声はべつに音声スタッフが竿の先にマイクを付けて音を拾っている
CATVは長岡だけではなく、越路町や・・・おっと、また揺れてきた・・落ち着かないんだよね・・この余震が止まってくれればね
ま、ようするに他地域も映像配信しているのだからそちらの会議の様子も流せるといいねと言う話
各地で先月、熊騒動が起きていた、ここ中越地域でも熊が出たという話を聞いていた
それらの熊はどうしただろうか、この地震で食べ物や水、安全な住みかなど確保されているのだろうかと心配になる
熊のみならず野山の動物たちはどうしているのだろうか心配になる
誰かが言っていた、ゴミの山がいっぱい出ているのにカラスが少ないと
地元の大手企業に日本精機という会社がある
この会社はホンダの車載メーターを作っている
先日新聞を読んでいたら、この日本精機の工場が地震でやられたためホンダの生産ラインが2日間ストップするという
ビックリした、日本精機がそんなに大きな会社だとは認識していなかった
地震が起きてから最近、不動産関係の問い合わせが増えている
我が社は宅建業の免許を持っているので税理士業の顧問先から不動産関係の問い合わせが入る
市では被災者のために空き家を借り上げて被災者に無料で提供するという
仮設住宅の代わりと思えばよいようだ
お客様からの問い合わせは、そのような仮設住宅の代わりとなる所でなく、もう少し上のクラスの物件がないかと来る
この地震で地価なんか格段に下がるのではないかと誰かが言っていたが、10年前の阪神淡路震災の時に
災害時の税務関係をまとめた本を1冊出版者からの要望で出した友人がいる
今日、たまたま彼の本を本箱の中から見つけて目を通していたら
「地価は思ったほど下がらない」という一説を見つけて、なるほどと思って見ていた