2004年11月6日(土曜日) 晴れ
今朝方もけっこう大きな地震が来ていた
また大きめの余震が増えているような気がする
我が家では両親にも緊急連絡用に携帯電話を持ってもらおうと話したら「そうだな」と親父
携帯なんかいらないと今まで言っていたが、今回の地震で緊急連絡用に必要と感じたようだ
私のマンションのベランダからすぐ裏にある千手小学校の体育館が見下ろせる
ここは千手地区の避難所として使われていたが、利用者もそんなに多くなく、体育館の半分くらいで済んでいた
市内の小学校は来週の月曜日からようやく授業が開始されるということで、今朝体育館を見たら誰もいなくなっていた
ここの避難所は廃止になった模様だ
悠久町の我が家の脇の小路では本格的にガスの復旧工事が始まっていた
同じ位置から右手
我が家を望む、屋根瓦の損傷部分が見える
ほぼ同じ位置から左手
ガス工事をしている小路を挟んで反対側の住宅街
ほとんどのお宅は屋根にブルーシートがかけられている
ほぼ同じ位置から反対側を見る
公園の駐車場には自衛隊の車両がズラーーーッと並んでいる
その自衛隊の車両基地を反対側から写す
今日は天皇陛下がお見えになると言う
どういう訳か大手高校に近くなると作業着姿でなく普通の巡査風の警官や私服風の人が小路のあちこちに目につく
だいたい余り人がいないはずなのに目つきの鋭い人が小路に立って
道行く車両をにらみつけているなんてピョンヤン関係の人か私服警官以外に考えられない
実に目につく不思議な人種だ
大手高校前の道路には屋根にパラボラアンテナをつけた車両があちこちに止まっている
派手な車は富山テレビ
大手高校正面には色々な人が待機している
我が社のパートナー事務所であるデザイン会社が
地震復興に向けた
ポスターを作ってきたので会社正面玄関や私の車の後部ウインドウに貼り付けた
前日、私がデザイン会社ならみんなが元気になるようなデザインでも考えて応援したらいいと話したら
翌日早速持ってきたデザインだ
今ひとつ練れていないとは思うが、彼の心意気を受けて私の車に張って、目にした人に元気になってもらおうと思っている
郊外にあるジャスコに買い物で寄った
店の前でテントを張って防災関連グッズを販売していた
防寒衣料、防寒長靴、タオル各種、清掃用品、電池などと書いてある
ジャスコは3階フロアーは大変だったようだ、屋上の駐車場も使用禁止になっていた
店内は普段通りの人出かやや少なめだった
食品売り場には十分な品物がそろっていた、ただし、野菜類は高め
これは全国的な傾向か、店内には「謹んで震災のお見舞いを申し上げます」と書かれた紙が張り出されていた
国道の道が全線開通したと言うことで少し郊外を走ってみたら
例の新幹線が止まっているところが国道からすぐ目に入ってきた
ここは、長岡駅に到着する3分前程度の所で長いトンネル群を抜け出たばかりの所だ
しかし、新幹線の橋脚はしっかりしていると改めて感じた
きれいな夕日が車の窓から見えた
現在普通になっている上越線の在来線踏切を渡ろうとしたら
信号機が倒れているのが目に入った、反対側の線路を見たら、線路がグニャグニャになっていた
新幹線を最優先に工事が進められて在来線はまだまだ手つかずの状況のようだ
長岡から小千谷方面に旧道を走って、例の土砂崩れで生き埋めになった現場
妙見に近づいてゆくと被害がドンドン大きくなって行くのがわかる
このお宅は二階がぐにゃりと向こう側に曲がっている、手前のお宅は取り壊されている
このお宅も左に曲がってしまっている
妙見を過ぎて小千谷から川口方面に国道を進んでゆくと片側交互通行となる
途中の斜面が崩れ落ちて、大型クレーンで投光器をつけて大がかりな補修工事をしていた
川口のまちの中に入ってきた、町全体が暗い、ガソリンスタンドの明かりがもの悲しい
川口町の大きな交差点だが
住宅にはほとんど明かりはなく道路と川の土手の間に挟まれた空き地などにテントが張られ
また車も多く止まっていた、国道沿いには被災者のみ車両駐車可と張り紙がされていた
川口町が一望できるようにと町の裏手にある高台に登ってみた
ここはオートキャンプ場やグランド、結婚式のできる宿泊施設などがあるが
その入り口の案内看板が折れ曲がっていた
最近温泉が出たと聞いていた宿泊施設は真っ暗だった
「和楽美の湯」と書かれた看板が見えたが、これが温泉の案内看板のようだ
高台の坂の途中から川口町方向を見るが、余り明かりは目につかなく全体に暗く沈んでいた
高台から戻って国道にはいるところで道の駅と看板が出ていたので
トイレを借りるつもりで寄ってみたら、ここは避難所として使用しておりますので関係者以外立ち入り禁止とのこと
トイレだけでもと思って入ったら、トイレは使用禁止、そうしたら近くにいたお母さんが簡易トイレを使って下さいと
まるで自分の内の庭先で通りがかりの人に声をかけるような雰囲気で元気よく教えてくれた
その道の駅の避難所には避難している人の名前が書かれた段ボールの前に
救援物資らしい品物が区分けして並べられていた
品物を見ると、ウェットティシュ、ホカロン、湯たんぽ、肌着、靴下などなど、皆新品ばかりが並べられていた
帰り道、やはり国道の復旧現場はサーチライトに照らし出されて作業していた
例の妙見の土砂崩れ現場の上流と下流で新国道は橋を渡る
土砂崩れのあった道は旧国道で、これは橋を渡らずに川沿いに進む、だから絶壁の道を進むことになる
私はまず妙見の現場の上流、小千谷よりの橋を渡っているとき現場を見たらサーチライトで土砂崩れ現場が照らし出されていた
手前には警察の車が赤いライトをチカチカと回している、先ほど川口に向かったとき見えた警察車両には「警視庁」と書かれていた
上の写真は右端に見える赤い点が緊急車両の赤いチカチカで中央に見えるもわっとした明かりは
強力なサーチライドで照らし出された土砂崩れ現場
左側に見える明かりは、川の対岸からのサーチライトで照らし出された部分
新国道沿いの小千谷市郊外にできたショッピングセンターの明かり
全体に車の交通量が多く、信号待ちでけっこう渋滞している
ショッピングセンターではなくスーパーセンターと書かれている
大きな駐車場にはブルーシートがかぶせられた山がいくつも目につく、これはたぶん店内の荷物などが持ち出されて
保管されているのだろうか、店内はフォークリフトが走り回っている様子が目に入る
これは先の土砂崩れ現場を現場の下流
長岡寄りの橋を渡る途中での写真
信濃川を挟んで対岸の土砂崩れ現場で
中央のぼやっとした明かりは、 先ほどの小千谷よりのサーチライトの明かり
初めて小千谷、川口と国道を走って感じたことは
川口は暗く、まだまだ被害のまっただ中、長岡で言えば三日目くらいまでの電気が通じなかった状況に近い
小千谷は電気は通じたが水道ガスはこれからというような長岡で言えば七日目くらいの状況に近い
やはり電気が町中に点くと文明開化ではないが、やっと文明社会に戻ってきたような気がする
ある社長さんが言っていた
普段余り要領の良くない社員で営業成績も悪く、少々お荷物だと思っていた社員が
今回の地震ではだれよりも早く会社に来て、だれに言われるでもなく会社の後かたづけを
コツコツとやってくれていた
それに引き替え、普段営業成績の良い社員はなんだかんだと言って
会社のことは後回しにしていた
会社にとってどういう人間が本当は大切なのか考えさせられた
こんなことを話してくれた社長さんが居た