2004年10月26日(火)雨 午前中から昼まで
社員が避難先から出社してきたが3人だけいまだ出社に至っていない
1人は川口町 孤立状況で歩いても行けないという 電話が通じている 車の中で寝ているという 大変になっているようだ
1人は栃尾市 何とか生活はできているようだが電気がようやく通ったので電話をしてきた 家の中が大変なようだ
1人は山古志村 村民全員が長岡にヘリで脱出してきた 現在避難所生活を強いられている
彼女に何かいろいろ援助しようと思ったが、部落の人と一緒に脱出してきているので
自分だけいい目を見るようなことをすると他の人からいろいろ言われそうなので・・・と言う
それではということで皆さんにこれからお困りでしょうから、まずは我が家にあったもらい物のタオルセットなど
見たらイブサンローランのタオルとかいろいろブランドものが一杯入っていた段ボールごと差し上げた
皆さんでお使い下さいということで渡してきた
越路町の避難所から出社してきた社員は配給になった非常食を持ってきて見せてくれた
なんと戦闘糧食U型と書いてある
その他ビスケットやら白米やら珍しいものが配給されている
避難所から出社してきた社員は、携帯の充電やひげそりの充電など電気製品を持ち込んで
会社でしっかり充電していった
さらに、風呂に入れないと言うことで近くの社員宅のお風呂に入れてもらいに行った
税理士会の新潟県連事務局に連絡したら長岡出身の土田県連会長が車で寝泊まりしているという
事務局では状況がわからないと言うことでさっそく行ってみた
途中の道はマンホールが残ってその回りが陥没している、どうも下水なりガス管なりの埋めた跡が陥没しているようだ
こんな所はあちこちに見受けられる
何とか通行止めの道を迂回しながら県連会長宅までたどり着けた
屋根瓦が壊れてビニールシートを掛け、応急処置をしてあった
会長は自宅で家族と一緒に後かたづけ、自宅の向かいの広場には寝泊まりしているらしい車が置いてあった
そこになんと県連総務部長の高橋先生もやってきた、さすが総務部長 とにかく土田県連会長は無事だった
県の総合庁舎前には多くの人が集まっており、近くにはなんと「福島テレビ」の中継車も止まっていた
昼食を持って実家にいる両親の所に向かったら、親戚の人が車で2時間かけて手伝いに来ていてくれて
なんとお弁当持参で豪勢な昼食会が始まっていた
自然光をふんだんに取り入れて、というより電気が使えなく自然光しかないのだが、被災地の惨めさなどないようだ
床の間はきれいに片づいていたが、壁はひび割れ、外のサッシが閉まらなくなって部屋の中は寒さが気になる
使用後
使用前
外を走っていると電信柱のトランスがひっくり返っていた
その先の家はつぶれていた
お客様の事務所に行ったら入り口の壁はひび割れてテーブルもなく電話が床に置いてあった