東京生活で得た「宝」中小企業診断士 ひろき 税 理 士 高野 裕 東京生活で得た「宝」 目次T 「身体」で感じる、「頭」で理解するU 東京生活で得た「宝」1 二十世紀梨2 凧上げ3 梅と桜4 新入学V そして・・・1 米2 水3 そしてT 「身体」で感じる、「頭」で理解する私は40年前、雪国の新潟県長岡市に生まれ育った。学生時代は東京・横浜、就職して東京と合計10年ほど過ごした後、結婚して故郷の長岡に戻ってきた。 私は雪国長岡が好きだ。雪国の冬は、雪が降り始めた頃が一番美しい。白と黒のコントラストが素晴らしい。まるで山水画のような風情をかもし出す。雪が降り続くと雪の中での生活が、いかに自然との触れ合いの生活かを知らしめしてくれる。しかし、私が始めて冬、東京に行ったとき、トンネルを越えたら一気に青い空が広がって見えた。空はこんなに高く青いものだったことを久しぶりに思い出させてくれた。日本は広い。地域によってこんなにも気候風土が違うということを「身体」で感じさせられた。長靴を履いて特急電車に乗ってしまい、まわりの人に冷たい視線で足元を見られながら、雪の無い地方はいいなと、しみじみ感じていた。 しばらくして、私が東京で何年目かの生活をしていたとき、テレビで新潟県長岡市は大雪が降って大変だと報道された。長靴など必要もない東京の冬の生活になれてしまった私には、それは「他人事」のようにしか映らなかった。日本は広い。地域によって気候風土が違う。そんなことを他人事のように「頭の中で」理解していた。 U 東京生活で得た「宝」1 二十世紀梨東京で一人暮らしをしていた。秋、梨が食べたくなってスーパーで探し回った。梨といったら「二十世紀」梨である。自分のいつも食べていた梨が見あたらなかった。仕方がなく「長十郎」という梨を買って食べてみた。しかし、パサパサして全然おいしくない。梨はもっとみずみずしくて甘いものだ、と思っていた。東京の人はいつもこんな物しか食べていないのかと思った。東京では、梨といえば「二十世紀」でなく「長十郎」を指すようだ、と思った。 2 凧上げ東京にいるとき、正月の番組で凧上げや独楽回しで遊んでいる子供達が映し出された。あれ、と思った。私が小さいときには、田圃の稲刈りが終わった晩秋に、広々とした電信柱など何もない田圃の中で凧揚げをしていたことを思い出した。雪国で正月に凧揚げなどできるわけがない。空から雪がどんどんと降り落ちる中でどうやって凧をあげるのであろうか。雪の中でどうやって独楽を回して遊ぶのであろうか。正月の遊びならスキー、ソリ、かまくら等で遊んでいた。「お正月には凧揚げて、独楽を回して遊びましょ、早くこいこいお正月」などという歌があったなと思いだした。凧は晩秋に揚げるものである。あれは雪国向けの歌ではない。東京向けの歌であった、と思った。 3 梅と桜東京でテレビを見ていたら、2月上旬に梅が咲き始めたという。3月には桜が咲き始めたという。梅と桜は一緒に咲くものと思っていた私に取っては不思議であった。小さい頃、4月下旬の花見に行った時、これが梅でこっちの花が桜だと見分け方を教えてもらった記憶がある。「梅は咲いたか、桜はまだか」などという歌があったなと思い出した。梅と桜は一緒に咲くものである。あれは雪国向けの歌ではない。東京向けの歌であった、と思った。 4 新入学東京でテレビを見ていたら、新入学一年生が晴れ晴れした足どりで校門の桜舞散る中を母親に手を引かれながら登校する姿が映し出さた。私は新入学の時校門の桜舞散る中を歩いた記憶がない。あるはずがないのである、花見は普通4月20日前後である。4月7日の入学式には桜など咲いていない。それどころか、校門の脇にはまだ雪が残っていることもある。たしか学校の教科書に、校門脇の桜が舞散る中、母親に手を引かれて登校する一年生の姿が描かれてあったように記憶する。入学式に桜が咲いているはずはない。あの教科書は雪国向け教科書ではない。東京向けの教科書だった、と思った。 V そして・・・1 米米がとにかくうまい。それも、農家が自家用として栽培している米が最高にうまい。これはなかなか手に入らない。農家の人から特別にわけてもらうしかない。とにかく、これがうまい。 2 水長岡で、テレビドラマを見ていたら、オフイスでコーヒー片手に商談をしている様子がよく映し出されていた。私の雪国長岡で、来客があれば何時でもコーヒーが出てくるオフイスは少ない。多くのオフイスではお茶が普通である。コーヒーを来客に出すのが「ナウイ」のであり、お茶を出すのは「ダサイ」ものだと感じていた。後日、東京のあるオフイスに訪問したときコーヒーを飲み過ぎたのでお茶を所望した。コーヒーは結構美味しかったのだが、お茶は全然うまくなかった。水が悪いのである。ふと、気がついた。東京では水が悪いからコーヒーでないと美味しく飲めないのだと。それ以来、雪国長岡の水がどんなに美味しいものだったのか再認識した。テレビに感化された自分が恥ずかしくなった。テレビドラマのかっこよさに幻惑されて、自分達の住んでいる雪国の良さを見失ってしまっていた。テレビは恐い。テレビは東京向けのものだった。雪国の良さを認識した雪国向けテレビではない。 3 そして日本は広い。地域によって様々な気候、風土、文化をもっている。この地域の個性を無視して合理的画一化による社会制度ができあがってしまっている。合理的画一化を基本とする社会制度は、日本の飛躍的な経済発展に功を成した。しかし、これからは地域の個性を尊重する社会制度が大切だ。そして、それをどのようにしたら成し遂げられるのかと考えている。 1993年2月作成 TMC日本語メイン・メニューへ 高野裕のコーナー・メニューへ 帽子のコーナーへ |