高野という名字をもらっているのだから、高野山には一度は行ってこなければということで
あえて行ってきた
あまり人に聞いても高野山に行ってきたという人は新潟では聞かなかったが
関西の人に聞いたらお墓ばかりだとか、とにかく歩くのだとか精進料理しかないとか
確かにお墓ばかりだったが、そんな中でなんと長岡市という文字を発見
それも織田信長の墓所の前にあるのだ
何となくうれしくなって、お賽銭を十円などとけちくさいこと言わずに
ドーンと百円あげてきた、ハイ
高野山の松の枝が墓所に飾られている
この松は皇族の何かの印に使われたとのことだ
水掛け地蔵とでも言うのだろうか皆さんが一生懸命水掛をしていた
奥の院に近い橋の上から先は撮影禁止ということで
これから先は自分で出掛けていってみてください
空海が仏様としておられる場所ということで一番神聖な場所ということだ
仏様になられたことで空海が弘法大師という名前になったと解説書に書かれていた
とにかくあちこちの墓所は歴史の教科書に載ってくる名前ばかり
千数百年という歴史の中にある場所は苔のむし方もただ者ではない
根本中堂ということですべての根本にあたる場所という意味らしい
ここ高野山は禅宗の道場だということだ
だから人里離れた高い山を隔てた盆地の中に造られた
昔は女人禁制ということで女人返しなどという地名も残っている
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