H22/10/11(月祭)

結婚記念日ということでどこかにドライブでもと米沢目指して出かけた

町のガイドパンフをみていたら、我妻栄記念館なるものを見つけた

私の大学院指導教授が我妻栄先生の弟子にあたるから

あえて言えば、いわば、私は孫弟子にあたることになる

残念ながら私は我妻先生から指導を直接受けたことはないが

私の指導教授から我妻先生のエピソードなどよく話を聞かせてもらった

そんな意味で、私にとっては尊敬する先生でありながら親近感を感じる先生であった

民法と言えば我妻栄、これはどうにも否定できない存在なのだ

その先生の生家だと言う

すべて私が大学院のときに読み込んでいた本だ

下から二冊目の改定前の物権法の本が手に入らなくて

高円寺の古本屋で見つけたときは小躍りしてなけなしのお金をはたいて購入したことを覚えている

先生の直筆の原稿を目の当たりにすることができるとは思っても見なかった

ある本に、先生は奥様のことを活字にすると「我妻栄、妻、我妻緑」となって

妻が三回も出てくるなどと書いていたことを思い出す

けっこうユーモアのある先生だと聞いている

先生の手書きの判例カードをみることができた

私も大学院の論文を書くために京大カードを使って整理していた

そのカードは今でも保存してある

私の知識の原点なのだ

その意味で、先生のこの判例カードは先生の宝

よく見ると文字が縦書きだということに気づいた

結婚記念日のドライブでひょんなことから米沢にでかけた

そして、そこで偶然、我妻栄記念館を訪ねることができた

私が20代、結婚する前の家内とつきあっていたころ

私が学部を卒業した後から戻った大学院の頃

一生懸命読んでいた我妻先生の本

学部のゼミ生を相手に議論をしていたあの頃

そして亡くなった私の恩師、私をかわいがってくれた恩師のことを思い出す

部屋にこもって専門書を読みあさっていたあの頃

人間、眠くなることとお腹がすくことがなければ、もっと思考が深まって

もっと良い論文が書けるのにと本気でおもっていたあの頃

手書きの原稿に必死で書きなぐって書いていた自分を思い出す

いまでも大切に保管してある色が変わってしまった分厚い私の手書き修士論文

30年前に一気に頭の中は戻っていた

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