今日はどこもかしこも満員だという
お客様の関係であるお座敷におじゃました
長岡では街中にありながら一番落ち着いた昔ながらの料亭だ
縁側の付いた部屋ということは日本の暮らしの中では大切な空間なのだ
外と内の中間の空間
これが日本人には大切な空間なのだ
半分外のような半分内のような
そう、肘掛けというか、ま、脇息(きょうそく)という方が正しいのだが
さいきんこんなキチンとした和のスタイルが無くなってきている
部屋が暖まってきたら床の間に飾ってあった牡丹の花がボトッと花を畳に落としていた
話の中で、私が中国語と英語は同じ文法スタイルで日本語の文法スタイルが違うのだ
だから中国の人とアメリカの人は思考方法がわりと似通っている
というような話を酒の上の話と言うことでしていたら
確かにそうだという
日本の子供は自宅のことを「我が家」と表現するが
中国の子供は「お父さんの家」と所有者を明確にする
そんな会話がなされたことが印象に残っていた
そう、当然二次会へと流れるわけで
さて帰るかという頃になったらタクシーがつかまらないという
やはり夜の街はにぎわっているのだと思った