平成18年10月18日(水曜)

今朝は恒例の屋外清掃の日だ
全社員で会社の外回りを、草取りなどする日になっている
しかし、草取りをやっていて思ったのだが
雑草の生え方が少なくなったと
これは夏場のあのすさまじいほどの雑草の生育と比べれば
じつにおとなしい成長ぶりだ
やはり夏は過ぎ去っていったのだと感じた次第だ

我が社の近くのスーパーが
最近工事をやっていてどうしたのかと思ったりしていたが
なんでもリニューアルオープンだという
今月の27日にオープンと表示がしてあった

さてさて、今日は夕方からバスケットのアルビレックス後援会設立総会が開かれる
会場のホテルに行ってみたらバンドの演奏がガンガンと音を鳴らしてにぎやかな状況だ

プロバスケットボールの後援会の設立総会ということで出かけていった

私は、アルビレックスBB、すなわちプロバスケットの後援会が県内唯一で最初の設立か
などと思って出かけてみたのだが
よくよく資料をみたら
なんと県内にすでに27か所の後援会が設立されており
長岡地区では初めてで、これが県内28番目の後援会設立ということだ

どうも案内をもらった資料など読んでいると
なんでも長岡を中心に動いているような勝手な思いこみがあったようだ

当初から案内を読んでいるとよくわからないのだが
ん、ま、いろいろとこの後援会設立にご苦労された方々が大勢おいでのようだ

さて、会場では実に要領の良い設立総会が実にスムースに進行され決定した
壇上に立って司会進行された方は
よく見たら私の知っている方だった

その後で、議員先生のご挨拶やらいろいろあったが
この方がアルビレックスBBの社長さんのようだ

会場には若いミュージシャンの人が演奏してくれていた

なんでも「ひなた」という名前のグループで長岡出身の彼らだという
長岡出身のミュージシャンで若い人には人気だという
残念ながら私にはなかなかその良さが解らなかったが
それでも長岡出身の若いミュージシャンがプロなのだろう、こういうかたちで頑張ってくれていると言うことは
すばらしいことだと思ってみていた

今日は後援会設立記念祝賀会ということで選手も全員参加するという

会場の外ではいろいろなグッズを売っていた

チアガールのお姉さん方が

実に元気に、爆発するようなエネルギーで会場を盛り上げてくれていた

さらに、会場のスクリーンにはCGで作られた映像が流されていた

さあ、いよいよ選手の登場だ
急にステージ前に若い女性が集まってきた

背が高い、なんでも2Mを越える選手も数名いるとのこと

マイクを持っているのが広瀬コーチだという

キャプテンから順次自己紹介が始まった

なかなかの風貌だ

このかれはお茶目な性格らしい
自己紹介が日本語で「三十路です」と受け狙い

なかなかいい顔をしている好青年だ、なんでも長岡の中越高校出身だという

背が高いのだ

この彼も大きい、なんでもヨソのチームから移籍してきたばかりのようだ

段の下でチアガールのお嬢さん方はあこがれの眼(まなこ)で選手を見つめている

この選手も大きな選手だ、ま、だいたいが大型の選手なのだ

ん、このお嬢さんはなかなかチャーミングだ
というより、彼女が一番ステージに近い場所に並んでいる
ということは、このチアガールの中で一番かわいいお嬢さんなのだろう
そして、一番選手をアピールするに相応しいメンバーなのだろう
そんなことを演出責任者が指示してそれを実行できる彼女が
一番目立つ場所に並ぶようにしたのだろう
そんなことをついつい思いながら見ていた

その次に並んでいた彼女もなかなかチャーミングなお嬢さんだ

選手と会場の交流タイムとなった
子どもが選手に握手してもらって喜んでいた

こちらは若い女性がキャアキャアと選手と一緒に写真に収まってはしゃいでいた

最後に越後製菓の方が挨拶をされていた
その挨拶の中で
村上龍だっただろうか、13才からのハローワークという本の中で
チアガールという項目に
アルビレックスのチアガールだけが唯一プロとして成り立っている職業だと書いてあると紹介していた

さてさて、会場では珍しい人や久しぶりな人にお会いした
そうそう、珍しいと言えば
ある方が、恰幅の良い紳士が私の所に会場で挨拶に来てくださった
初めてお会いする人なので名刺交換をして
さて、と思ったら
先方は初めてではないという
さてさて、どなただろうかとおもったがわからなかった
名刺を見ても私が普段おじゃますることのない業界の方だ
わからないというと
実は私が小学校の時の家庭教師の先生だった
私が10才くらいでこの家庭教師の先生が高校生の時だったという

そう言われて、記憶がよみがえってきた
そう、一気によみがえってきた
そうそう、いろいろなことがあった
そうそう、そうそう、あんなこと、こんなこと、一気に話がふくらんだ

しかし、私の記憶に残っているその先生は
若いお兄さんという記憶だった
だが現実目の前においでの方は
どう見ても大会社の社長さんだ
40年以上前の印象だからとうぜん変わってしまっている

というよりも、私の方がもっと変わってしまっているはずだ
よく私のことがわかったものだと思ったら
氏は言う
私が新潟日報に一年間執筆したもので
その時、毎回略歴と写真付きで掲載してもらったので
それでわかったと言っておられた

すごいことだと思った
新聞の力はすごい

こんな出会いがあるなんて想像しなかったことだった

こちらは流れで集まった二次会場で

私がコロナビールを注文したという写真だ、ただそれだけだ

そして、さらには、先ほどのアルビの会場であるお店のオーナーに会ったので
そのお店にもちょっと寄って
ん、結局あちこちで飲み回って飲み過ぎとなるわけでございまして、ハイ

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