平成18年03月31日(金曜)

昨夜、夜駅に家内を迎えに行った
車には一日で積もった雪がフロントに残されている

昨年から、地元の地方紙に原稿を毎月掲載させてもらっている
そんななかで、先日掲載された私の原稿、長岡「ビミョー」集
こんなタイトルが付けれれたのだが
この原稿の一番最後に

4月1日は私の誕生日と書いた

新聞記事は読んでいる人が多いものだと感心した

今日、相談にきたお客様が開口一番、風呂敷包みをほどきながら
先生、「ビミョー」な日のバースディーケーキですと
いはやは、恥ずかしいやらうれしいやら、なんとも「ビミョー」でした、ハイ

今朝は雪が止んだようだ

東京ではサクラが満開だとかと聞く
そんなことはどうでもいい、とにかく長岡の景色はこの通りだ
これからたっぷりと春を楽しめる長岡の春が待ち遠しい

今日、「国家の品格、長岡の品格」と題して
長岡市制100周年などを記念して特別講演会が開かれた

講師は数学の先生、お茶の水女子大学の教授、藤原正彦氏だ

会場は満杯の満員御礼で
私などが普段お会いしない雰囲気の人が大勢いた

講師が話を始める
彼は言う

「私は、全て正しいと思って確信を持って皆さんにお話しするが
どういう訳か、行政と国民世論の9割は私の正しい意見と違うようだ」

そんな話から彼の話は始まった

会場は結構笑い声やうなずく姿が多く見られ
氏の話は説得力を持って受け入れられていたようだ

今まで、論理や合理性や理性などという言葉で全ての物事を計ってきた
そんな欧米主導の合理主義が全てのように考えてきたが
そのおかげで、今世界中がおかしくなっているという
この論理、合理、理性という論法だけではなく
情緒、形というような、これは「ものの哀れ」というとらえ方
こんなとらえ方が必要なのではないかと
そして、それはまさに日本人が昔から大切にしてきた日本人の文化ではないかと

我々日本人は諸外国に対して卑屈になりすぎてはいないだろうかと
我々日本人のすばらしさは昔の本を読めばわかる
すばらしい文化と教養を持つ日本人の姿が見えると

たとえば、福沢諭吉の本、内村鑑三の「余は如何にして基督信徒となりし乎」
さらには「きけわだつみのこえ」、そして宮本常一の「忘れられた日本人」
こんな本を読むことで、日本人のすばらしさ、文化の高さを理解することができよう

そして、我々日本人がまず歴史を認識し、日本人としての自信と誇りを持つべきだと

彼は言う
まず、三つの愛情を持てと
一つは家族愛、二つめは郷土愛、三つ目は祖国愛だという
この愛をもてないようでは始まらない
自分の家族を愛し、生まれ育った郷土を愛し、そして日本という祖国を愛することが基本だと
その基本ができたならば、最後に人類愛が求められようと

彼はさらに言う
長岡の河合継之助はすばらしい人物だと
最近、その河合継之助を批判した人物がいたので
ある雑誌に反論を書いたという

長岡はすばらしい歴史を持っていると彼は言う
米百俵の話、山本五十六の話、武士の娘の話、などなど

話を聞いていてふと思った
米百俵の話の中で、藩士が生活に困って小林虎三郎に直談判する場面があるが
その藩士は「経済理論、金銭の問題」としてせまるが
虎三郎は「義の問題、武士道精神の問題」として将来のためにと説得する
そんな、論理合理的判断と情緒的判断とでも言うのだろうか
その二つの対立を語っている場面なのだと

最後に氏は言う

「自信と誇りがなければ品格は生まれない」と

まず自分に自信と誇りを持つことにしようと心にとめた講演だった
最後は万雷の拍手という状況だった

前へ

次へ

目次へ