「信じる者は救われない」

親切が仇になる

高野 裕


目次

T.はじめに

U.争点

V.事実の概要

W.裁判所の判断

X.研究−判旨に原則賛成

Y.おわりに

[注記]


T.はじめに

組織の中における個人の行動はあくまで組織の行動として対外的に捉えられる。その場合、相手方個人は当該組織の末端個人の行動を組織の意志として理解する。組織の末端個人に渡した書類が受理され、その後組織名で必要書類が相手方に郵送され再度受理等の行為が繰返されれば相手方個人は組織との間で有効な関係が成立していると信じてしまう。それを数年後有効な関係はなかったとして享受した利益は返還せよと申立てられたら憤慨することは当然のことである。こんな「信じる者は救われるか」ということについて判例を通じて考えてみたい。

U.争点

検討判例は、青色申告承認がなされていないときでも青色申告としての効力を認めてもよい例外的な場合があるか否か、について信義則の法理適用との関係が争点となった最判昭62・10・30(訟務月報34−4−853)判決である。

V.事実の概要

原告Xは昭和25年に税務署を退職し、養父Aの営んでいた酒類販売業A商店の営業に従事し、昭和29年ころから事実上XがA商店の業務運営をするようになった。Aは被告税務署長Yから青色申告の承認を受け、昭和45年分までA名義で青色申告がなされたが、昭和46年分はXが青色申告の承認を受けることなく、X名義で青色申告書による申告をした。YはXが青色承認を受けているかどうかの確認をしないまま申告を受理し、さらにYは昭和47年分から50年分までXに青色申告用紙を送付し、Xの青色確定申告書を受理、所得税額を収納してきた。Yは、昭和51年3月A死亡に伴う相続税調査の際、Xが青色申告提出承認を受けていないことが判明したとして、Xの昭和48・49年分所得税確定申告について、青色申告の諸特典の適用を否認する白色更正処分をした。Xは直ちに青色承認申請をし、同年分以降青色承認を受けた。

W.裁判所の判断

地裁、高裁は信義則違反としてX勝訴。最高裁では以下のように逆転してY勝訴となった。

青色申告制度の趣旨から考えると承認を受けずに提出された青色申告書に青色申告としての効力を認める余地はないとした上で、信義則の適用について検討している。租税法規に信義則適用の余地ありとするものの、課税の公平を犠牲にしてもなお納税者の信頼を保護しなければ正義に反する特別な事情がある場合に限るとしている。そして、その特別事情とは、@税務官庁の公式見解表示があり、A納税者がその表示を信頼して行動し、Bのちにその表示に反する課税処分がなされ、Cそのために納税者が経済的不利益を受け、D信頼して行動したことに納税者の攻めに帰すべき事由がない場合をいう。この基準に照らして判断すれば当該事件には信義則の法理適用余地はないと判決した。

X.研究−判旨に原則賛成

1.租税法律主義を厳格に適用すれば形式主義の弊害が発生する。租税法律主義に反しても実体上救済することが正義であると判断される場合、救済の道を用意しておくことが必要である。この租税法律主義の限界点における救済方法が信義則である。文化学院事件(東京高判昭41・6・16)を最初として下級審での信義則適用例はあるが、最高裁で最初に信義則適用の余地を認めた判決として当該判決の意義がある。

2.学説は信義則適用を租税法においても認めるとするものが多数説である。信義則は租税負担の公平の観点から考えた場合疑問があるとする考えもあるが*1、租税法律主義内部における合法性と法的安定性の価値の対立による比較衡量の問題としてとらえ、合法性の原則を犠牲にしてもなお納税者の信頼を保護することが必要であると認められる場合の個別救済の法理であると説明されている*2。

学説は単に適用を認めるのみならず、その適用要件についての具体的判断基準を検討*3、さらに信義則を適用した場合の効果をどのように考えるか、または、逆に納税者の言動にたいする税務行政庁への信義則適用についても議論されている*4*5。

3.さらに、租税法における大前提である租税法律主義の形式主義としての側面を制限してまでなぜ個別救済手段として信義則を持出さねばならなくなったかを考えた場合、現代社会の租税法規があまりにも複雑化している現状での税務行政庁の事実上の指導行為が果している重大な役割・機能をまず認識し、税務行政庁の事実上の指導行為を信じた納税者を「法律による行政の原理」を形式的に貫くことで犠牲を強いることが不合理であるとして、信義則を持出さねばならなくなってしまったとの指摘*6には共感を持つものである。

たしかに、前掲文化学院事件判決は、「租税法が著しく複雑かつ専門化した現代において、国民が善良な市民として混乱なく社会経済生活を営むためには、租税法規の解釈適用等に関する通達等の事実上の行政作用を信頼し、これを前提として経済的行動を取らざるを得ず、租税行政当局もまた、適正円滑に税務行政を遂行するためには、かような事実上の行政作用を利用せざるを得ない。かような事態にかんがみれば、事実上の行政作用を信頼して行動したことにつきなんら責められるべき点のない誠実、善良な市民が行政庁の信頼を裏切る行為によって、まったく犠牲に供されてもよいとする理由はない」と述べている。

しかし、このような現状の中で信義則等の一般原則を持出して納税者の不利益を救済しようとしても、そもそも、一般原則自体は特例中の特例としてしか機能せず現実的にはほとんど無内容であるとして、契約の拘束力の原理、行政行為の取消し・撤回の制限の法理等を類推活用できないかとの指摘*7*8には傾聴するものがある。

4.高度に複雑化された現代租税法について、納税者が自己の責任の上で解釈判断し、申告納税制度の理念に則り自主申告することは現実的に難しくなっている。であるがため、税理士という職業が成立つものともいえるのではあるが、納税者が税務行政庁の公式見解でなくとも単に税務職員の発言であるというだけで多大な信頼を置くことは一般的な心理である。あまりにも複雑難解な税法であるが故に、一般納税者が租税の知識を得る努力より、あきらめの念を抱くことが通常となり、税務に携っている税務職員の言動行動に絶対の信頼を置くこととなる。ましてや、税務署が青色申告書を受理し、かつ、毎年青色申告書を郵送してきたとすれば青色申告で申告することが正しい申告であると信じてしまうことはあたりまえのことである。これに対して税務署は、申告用紙郵送は単なるサービスであって法律的義務があるわけではなく、税務署が青色申告用紙を郵送したといえども法律上青色申告が承認されている保証はない*9と反論する。ここで、純粋に租税法律論として議論されれば本判決のように納税者を救う道はかなり険しいものとならざるを得ない。例え黙示の承認*10という考えを引き出しても申請を欠いている場合、もはや救済の道は閉ざされてしまう*11。これは租税法の基本原理である租税法律主義を基本とする限り当然であり、課税の公平の要求からも本判決の判断は妥当なものとなる。

5.しかし、本判決には釈然としないものが残る。例えば、青色申告書が民間会社から郵送され、その青色申告書で申告し、本件のように更正通知を受けた場合、この民間会社が郵送時に「あなたは青色申告で申告して下さい、当方で青色承認の確認済です」との文章を同封していたとすれば当該会社は納税者から何らかの責任を追求されることになろう。これと同様に通常、税務署から青色申告書が郵送されてきたということは、「あなたは青色申告で申告して下さい、青色承認の確認済です」という文章が入って郵送されたと同じ効果を納税者に与えていることに着目すべきである。そこで、訴訟を起こしても納税者が勝手に誤認した*12として本件判決のように一蹴されることとなる。このことは納税者の立場からすれば納得できないものである*13。

この問題は租税法に信義則を適用できるかという問題から、行政庁の事実としての行為や職員の行為により被った納税者の利益保護を信義則で救えるかという問題を越えて、信義則では充分救えない納税者の利益をいかにしたら救えるのかという問題に発展してゆくものと考えられる*14。

Y.おわりに

思うに、納税者サービスとして行う行為が納税者の誤信を招きうると予知できたはずなのに、いざとなったら責任はないと現行法解釈論を盾に対処することは、結局税務行政庁に対する納税者の不信を強くするだけである。まさに親切が仇になるケースである。そこで、私は誤信を招くサービス行為を税務行政庁はそもそも行うべきではないと考える。もし、サービスを行うのであればそのサービスを信じて行動した納税者を救う救済の道を用意してからおこなうべきであると考える。確申期の税務署による納税相談等もこの問題を抱えていると考える。それほど国民は行政庁のどのような行為に対しても、「お上がおこなうこと」として多大なる信頼を寄せて行動している社会的事実を深く認識すべきものと考える。信じる者は何らかのかたちで救われるべきである。


[注記]

*1新井隆一「租税法講座」第1巻313頁

*2金子宏「租税法第四版」119頁

*3品川芳宣「税法における信義則の適用について」税務大学校論叢8号20頁

*4碓井光明「租税法における信義誠実の原則とそのジレンマ」税理23巻12号7頁

*5これらについて清永敬次「新版税法(全訂)」法律学全書53頁参照

*6藤田宙靖「第三版行政法T(総論)」129頁

*7藤田宙靖前掲書325頁

*8北野弘久「現代税法の構造」297頁は、租税の法律関係はもっぱら租税法の定めによるべきで、税務行政庁と納税者との間の合意について効力を与え、契約の効果として法律構成する方法は効果的でないと批判している。

*9辻井治「昭和60年行政関係判例解説」324頁

*10水野忠恒「ジュリスト」903号51頁

*11碓井光明「青色申告の承認と信頼の保護」ジュリスト910号51頁

*12辻井治・前掲書324頁

*13斉藤稔「租税法律主義入門」113頁は、税務職員の責任追及がなされないことが税務職員の無責任さを助長している旨示唆している。

*14碓井光明・前掲書税理23巻12号6頁は国家賠償請求との関係についてふれ、限定的範囲で国家賠償請求の可能性を示唆している。


関東信越税理士会会報「関東信越税理士界」平成7年7月15日号学術研究欄掲載


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Last Updated: 5/9/96