第1回市民劇 上杉祥三作演出「舞台役者症候群像」
練習日記2 平成13年5月25日(金)〜6月3日(日)
これからの練習スケジュール表はこちら
今日は練習場に入ってもいまひとつ浮かない
自分の中でいろいろ自問自答していた
何のために練習するのであろうかと
何のために演劇なのかと
自分の生活の中にあって演劇をどのように位置づけるのかと
仕事とのバランスをどうするのかと
自分の人生設計の中における演劇の位置づけをどうするのかと
自問自答していた
しかし、練習場に入る頃にはほぼ結論が見えていたが
今までの自問自答の余韻が残っていたのか、いまひとつ浮かれない
とにかく続けよう、役があろうが無かろうが、毎年一度の市民劇を続けよう
そして、一生懸命やろう
やれる範囲で一生懸命やろう
わからないことだらけなのだから、いろいろ教えてもらおう
初心者なのだから、謙虚に教わろう、わからないことだらけなのだから
体を動かすことが、汗をかくことが、知らないことを教わることが
全て私の糧、かて、となることと理解して続けよう
そう理解したら気が楽になった
そして、今度はファイトが出てきた
頑張って役につけるように練習しようと
ただ単に頑張るだけではダメだ
私の役所(やくどころ)を研究し、私自身の特徴と欠点を理解し
直せるところは直す、のばせるところは伸ばす
私の強みを理解してこの役所(やくどころ)にはまるようにするにはどうすればいいか考える
今日、始めてのエチュードをやった
これは、舞台上に二人立たせて
両者がほめ合うように、褒めちぎるようにと指示が出る
最初は女性二人、お互いがどうしたらよいか戸惑っている雰囲気が出る
上杉氏はいう、自分が照れてしまうとお客に伝わると
今度は男性二人を指名して、お互いをけなしあえという
これはつらい、あまり身体的な特徴について言うことはあまりにも傷つけてしまいそうである
今度は私と一人の女性が指名された
やはりけなせという、なにを言おうかと考えた
やはりあいては女性だから身体的なことはタブーと考えた
そこで、劇を一生懸命やると仕事がおろそかになって
リストラの対象にならないかという切り口を考えた
単なる皮肉になっただけでは面白くないなと思ったが、この切り口は単なる皮肉で終わってしまった
今度は彼女の演劇歴が長いことを突こうと考えた
結局、ワンパターンの役作りで終わっているというまたもや皮肉にしかならなかった
今度は先方が突いてきた、今までの人生で一番つらかったことはなにかと聞くから
わたしは即座に答えた「昨日、配役からもれたこと」と
場内が一気にわいてしまった
こんな具合にどのくらいやり取りしただろうか
結構長い時間舞台上で夫婦漫才のようにやり取りしていたような気がする
休憩後、読みをやるという
昨日の仮配役10人が舞台上のイスに座った
1人が今日欠席だったからアンダーの者が代わってイスに座った
読みがしばらく続いた
突然、上杉氏は読みを止め
3名ほどの人物を名指して言う
「テンションが低すぎる、だめだ、アンダーと入れ替えて読み直す」と
一気にアンダーメンバーと入れ替えて読みが再会された
上杉氏は言う、というより宣言する
「私は上演当日にベストな状態の者を配役として指名する」
「だから、仮配役が付いたからと言って本番に舞台に上がれると思うなよ」
「アンダーがよければいつでもアンダーと入れ替えるからな」
「おれは、仮配役を決めたのは何かをやっていたとかやっているとかと言うことで決めていない」
「あくまで今ベストの役者を選んだだけだ」「本番当日お客から2,000円払ってもらって見てもらえる役者を選ぶだけだ」と強く宣言していた
最後に上杉氏は言う
来週来たときにはこの一週間でこれだけ上達しましたと言えるように練習してこいと
明日、仮配役の発表だが私は会社の慰安旅行で参加できない
明後日は長岡到着時間がバスのため明確でないが
一応6時となっている
当初、欠席にしておいたが
仮配役発表し最終選抜にはいるのにいなければ相手にされない
長岡に到着して解散後問題がなければ、練習場に向かいたいとは思っている
リリック通信6月号が自宅に届いたので見てみた
やはり自分の関係している事がどのように描かれているか気になることである
一番最後の頁に「発売中チケットのお知らせ」として記載されていた
「舞台役者症候群像」
このタイトルを見るとなにか「病院へ行こう」とかの病院ものコメディーかミュージカル
そう、タイトルが漢字ばかりで堅いから内容は一気に柔らかくモダンなものというイメージがある
私の仲間によく聞かれる、「今年はなにをやるのですか」と
仲間の期待しているものは「どこかで聞いたことのある題名」であって
そのあとで言おうと思っている言葉は
「あ〜ぁ、聞いたことあるよ、ホラ、あの有名なあれでしょ」
しかし、ことしのタイトルを聞くと皆一応に顔を曇らせて黙り込む、そこで急遽私が説明する
「日本の有名な大正時代の人たち、石川啄木とか北原白秋、平塚らいちょうなどの実話を劇にしたものだよ」と
で、今年は高野さんなにやるのと聞かれる
「いやまだわかんないよ、今オーディションをやっている最中で
今年はレベルが高いからダメかも」
そんな会話がなされる
リリック通信6月号には劇の内容について上杉氏の言葉であろうか
「五人の男と五人の女。
彼らはなによりも今、この舞台にいることに何物にも代えがたい誇りを持っている。」
そして説明文は最後に
「市民から選ばれた精鋭10人による研ぎ澄まされた舞台にご期待下さい。」と結んでいる
私はこの言葉を見て何か高い次元のものを感じた
「彼らはなによりも今、この舞台にいることに何物にも代えがたい誇りを持っている」
そう、誇りといえるだけの試練を乗り越えて、役者としての自信を持って
何物にも代えがたい世界
何かを成し遂げた者にだけ与えられる「誇り」をもって舞台に立てる
人として、一人の人間としての「誇り」をもって舞台に立てる
すばらしい世界だ
そうなんだよなーー、なんでも成し遂げた人は「すがすがしさ」と「誇り」を持っている
私もその「誇り」をもてるレベルになりたいと思う
そのためには、結局中途半端じゃ到達し得ない世界なんだよな
のめり込むことがなければつかみ得ない世界なんだよな
今日は、結婚式があり遅刻参加となる。
結婚式ではなるべくウーロン茶を飲むようにしていた。
結婚式の引き出物にお菓子の箱が付いていたのでそれを持ち
式場の新郎新婦席の前に飾ってあった生花を袋にいっぱい入れて練習場に向かった
到着したときには読みが始まっていた
入り口で上杉氏と目があったので黙礼して練習場に入った
しばらくしたら5分休憩となったので仲間に台本の変更点など確認した
休憩後、配役変更が告げられ、その中に私の名前があった
早速読みに入る
十分な発声練習をしてないので他の人のセリフの時一緒に空読みしながら準備した
なるべくはっきり発音するように、語尾をキチンと発音するように気をつけた
夕食休憩に入った
みんなに結婚式のお菓子の引き出物を食べないかって誘った
思ったより量があってみんなに配ってやっと食べてもらった
生花もほしい人にと渡した
休憩中に「高野さん、昨日のストップモーションで足のじん帯が伸びちゃってね」と言う
これから怪我に気をつけなければ
なんとか休日診療所で見てもらったそうだ
ストップモーションはみんなきついようだ
私も昨日、やはりはしゃぎすぎだったようだ
体中が痛い、かなりきつい状況になってきている
普段の練習不足、基礎体力のなさが暴露されてしまう
休憩後、例の「暗黒舞踏」パターンをやるという
今日は4行「アメンボ赤いな」を歌ったら、全員客席を向く
スローモーションをもっと早めてやれと言う
上杉氏はこのパターンを何とか劇中に使いたいようだ
今度はステージに10脚のイスを並べろと言う
10人がよばれる
読みをやる
私も呼ばれた
台本を最後まで読み切った
休憩後、今度は先ほどのメンバーを入れ替えて頭からやるという
残念ながら私は呼ばれなかった
誰がいつも呼ばれて、誰が呼ばれなくて、誰と誰が交代で呼ばれているか
何となく見えてくる
女性男性共に3人ずつがほとんど出っぱなし
男女ともに残る2名ずつが入れ替わりで呼ばれている
私もその入れ替わりの中に入っているようだ
見ていて思った、みんな出来れば舞台に立ちたい
ところが舞台に立てる人数は決まっている
そんな中で自分にお声が掛かるか掛からないか
掛からない場合は他の人のやっているものを見ているしかない
だんだん声が掛からなくなると落ち込んでくる
今度は自分との葛藤が始まる
「いいんだ、自分は一緒に練習が出来るだけでいいんだ」と
自分の中での「昇華」現象が起こり始める
これによって自分を納得させる
そうでもしなかったら練習場にいることがつらくなる
考えてみると先週までは練習に来ていた人で
今週は全然顔を見ていないひとが何人かいる
その人たちは一回も声が掛かっていないように思える
結局役者をやるってことは、この自己との葛藤のなかで
落ち込みながらも期待を捨てずに一生懸命やっている
そんな人の集まりなのだろうか
いや、いつも自分は必ず役が割り当てられると確信し
役者としての才能があるのだと、スターなのだと確信している
そんな人間なのだろうか
彼ら彼女らを見ていて感ずる
というより私自身を見ていて思う
やはり役を一度でももらって
セリフを一言でもしゃべることが出来たなら
その後の行動がはしゃいでいる
活き活きしている
そうなんだよね
みんな役者をやりたくてここに集まっている
自分がスポットライトを浴びれることを期待して集まっている
よかったよと拍手をもらいたくて集まっている
そのために自分に声が掛からなかったときの自己葛藤を思い出して
上杉氏が言うように
「俳優って自己顕示欲だけの人間には出来ないんだよ、チームワークが大切」と言うとおり
仲間に気を遣っているんだよね
今回の「舞台役者症候群像」は
まさに、我々が感じていることを
我々の夢というか役者の病気というか
舞台役者の慢性的に掛かる心的病状のかたまりを描いた戯曲
こんな風に理解すればこの台本は我々自身なんだと思えてくる
練習の最後に上杉氏は言った
次回、仮の配役を10名発表します
それぞれの役にはアンダーをつけます
練習をやりながらアンダーがよければ入れ替えます
おや、っと思った
たしか当初は2チーム作ってやるって話でなかったっけ
あれれ、10人ということは1チームということだよなーー
隣の仲間に確認してみた
おい、これって1チームしか作らないと言うことかぃ
そういうことですよねー
サー大変だ、2チームなら男性5人×2チーム=10人と思っていたが
5人しか出られない
おいおい、俺はヤバイってことかよーーー
アチャー ほぼ3人は確定だとすれば残り2人の場所しかない
私と競っているのは・・・・こりゃ大変だ
がんばんなくちゃーーー
たとえ役をもらえたとしても、私の役は確定でないということ
アンダーとの入れ替え戦の可能性が高い場所ということ
桁違いの練習をしないと落とされる場所
アチャ、チャーー
やらねば落とされるってことかよーーー
キャハーーーーー
だけど、桁違いの練習をすれば役をとれる場所ってこと
ウッワーー大変だ
こりゃ仕事なんて言ってられなくなるよ・・・
まいったーー
でも頑張るしかないのか
やるだけやるしかないのか
うっわーー、結局こうなるのだよなー
こうなって、どんどんのめり込んでいく
役者をやるって、ここでのめり込めるかどうかなんだよなーー