亭主たるものの勤め

高野 裕

2000年9月記

 

私は、いろいろなことを考える

宇宙の起源から法律論へ、演劇論へ、インターネットへ、はたまた昨日の夕飯のことへ
私の頭の中は自在に時空を飛び回っている
こんな四次元の時空をダイナミックに、そしてとてつもない早さで駆けめぐっている
誰にも止められない早さで駆けめぐっている
一見無関係な連続と思うかもしれないが、すべてはそれなりの関連性を持っている
だが、この目にも留まらない早さで動いている天地宇宙を駆けめぐる動きを瞬時に止める人がいる
それは、何の前触れもなくやってくる
たった一言でビッグバンを凍結させるがごとく私の動きを止めてしまう

「言わなかったのね!」
この瞬間、すべての私のエネルギー加速はシャットダウンしてスイッチが切られた状況になる
私の頭の中でイキイキと飛び回っていた思考のエネルギーは完全にスイッチが切られる
そして、瞬時に今までのエネルギーはすべて声の主に向けられる
私の隣で書類を整理していた彼女は強い口調で言い放つ
誰が、何を、など全て省いてストレートに弓矢のごとく一直線に言い放つ

誰が、はたぶん私のことであろうと推測がつく、なぜならば他に誰もいないから
問題は、何を、である
この解析のために今までのダイナミックな四次元空間を駆けめぐるエネルギーすべてが必要となる
これは一刻を争うことが求められる
最大限のエネルギー集中により解析がなされなければならない

まず彼女は今何を手にしているのか、先ほどまで何を見ていたのか、直前に話した言葉は何であったのか、最近彼女が話題にしたことは何であったか、私の頭の中にある彼女の特別ファイル、特別データーベースを猛スピードで検索する
この一次検索で出てきたデーターに絞り込みをかける
検索結果が多い場合は慎重に絞り込む、この絞り込みが充分でないと激怒というとてつもないブルーな状況を作り出してしまう

まだいい、データーがあるうちは、検索結果に該当がありませんと出たら悲惨だ
方法は二つ、一つは素直に「何?」と聞く方法
これは相手の状況、気分によって有効な選択であったか、撰ぶべき選択ではなかったか、実に全く正反対の結果になってしまうことがある
慎重な判断が求められる

今はたぶん、彼女の強い口調からすれば、「何?」と聞くことは、後で自分が後悔することになる選択だと鋭く即座に判断できる
このくらいは全宇宙を駆けめぐるエネルギーを費やすことで的確な決断がきる
もっとも、有史以来、私がこのレベルにたどり着くまでには数多くの試行錯誤という痛い思いがあったことは確かである

もう一つの選択は、相手の次の言葉なり行動なりを待って情報を収集し、その上で判断するために、今は余計なことを言わずに「黙る」という選択である
最近特に多くなった選択方法であるがこの作戦にはこまった副作用がある
すなわち、この作戦を多用すると、強烈なカウンターの反撃が来る

「なんで黙っているのー!」

鋭い声が突き刺さってくる、ヤリのように鋭く突き刺さってくる
もう何を言っても始まらない、いや、言えば言うほどおかしくなる

こんな時はぐっとこらえて状況判断をするしかない
全エネルギーを彼女に向け状況把握することが唯一の残された道である

なぜならば、私には彼女が「何に」怒っているのかわからない
それなのに、彼女は決定的な「何か」を厳しく責め立てている


ついさっきまで大宇宙を生き生きと駆けめぐっていた私はもう何処にもいない
そこには、ただひたすら妻とのコミュニケーションを大切にすることが亭主たるものの勤めと思いこんでいる彼女の夫が居るだけだ

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