(1)時間が作り出した変化

今日、長女の高校卒業式に行って来た

子供は高校卒業するまで親の言うことを聞け、あとは好きにしてかまわない

その代わり責任は全部自分でとれと言ってきた

その親としての最後の時だと思い卒業式に行って来た

私も30年前にこの高校の卒業式を経験して東京へと出かけていった

あのときと同じ寒々とした体育館に全校生徒とかなりの数の父兄が参列していた

会場内に入ると正面にだだシンプルに「祝卒業」と書かれた大きな幕と日の丸がある

壇上左脇には立派な盆栽の松が飾られ右脇には校旗

昔は音響効果がかなり悪く、マイクの音が割れて聞き取りにくかった思いがするが

会場の音響はすばらしく改善されていた

 

校長から各クラスの卒業生代表に卒業証が授与される

各クラス代表が一人一人呼ばれてゆく

緊張した足取りで、直前にレクチャーを受けたのだろうか

決められたようにお辞儀をしながら壇上に上がってゆく

校長が一人一人の卒業証書を読み上げ最後に「おめでとう」と声をかける

そんな声に反応する余裕もなく

決められたようにクラス全員の卒業証を受け取って、壇上からぎこちなく降りてくる

ほとんどの生徒はスーツ姿で壇上に上がる

男性ばかりかと思うと着物姿の女性も壇上に呼ばれた

中には紋付きを羽織った男子生徒もいた

そして会場がどよめいた

なんとちょんまげ姿のまさに力士風の生徒が平然と壇上に上がってきた

パフォーマンスなのかどうかはわからない

そんなことはお構いなしに式典は粛々(シュクシュク)と進められる

 

会場の卒業生を見ると何となく成人式の会場みたいだ

女生徒は振り袖着物にすばらしい髪飾り

男生徒はスーツにツンツンした髪型か茶髪

そして注目を引いたのは男生徒の和服だ

 

(2)長い時間、守り通してきたもの

粛々(シュクシュク)と式は進められ校長の祝いの言葉である

時候の挨拶から始まり時代の状況、これからに期待すること、そして最後に

「和して同ぜず」この精神で進んで欲しいと

校長としての品格ある荘重な内容である。

在校生の祝辞が始まった

今風の若い人にはなかなかいえないあいさつである

時候の挨拶をきちんとこなし

卒業生に初めてであったときからすでに時がたち今日になったこと

今後は卒業生から教わったことを守り受け継いで

建学の精神である「和同」の気持ちをわすれないこと

実にそつのない優等生としての挨拶である。

卒業生の答辞が始まった

まさに名文ともいえる流ちょうな文章である

これもまた判で押したように時候の挨拶をきちんとこなし

時代環境を述べて、そんな時代を生きてゆくために

「常在戦場」の気持ちを忘れずにゆくこと

「和同」の出典を読み上げて再度確認しながら

卒業しても「和同」、和して同ぜずという気持ちを大切にする決意を表明する

すばらしいの一言である。

 

そうだよな、我々もこういった行事のたびに

「和同」「常在戦場」「米百俵」という思想を教えられてきた

こんな機会がなければ聞くこともしなかったはずである

そっか、我々はこのような挨拶文の中で

文化を歴史を伝えていっているのかと感じた

このバランスよく組み立てられた

たぶん同じ国語の先生によって作られた原稿、いやひょっとしたら

前年の原稿を見ながら一部のみ書き直しがされているだろう原稿によって

長岡高校の文化が脈々と伝えられているのだと

 

(3)新しい伝統

式典終了後、生徒玄関では在校生が出口で構えている

なんと卒業生を捕まえて胴上げするのである

捕まえると言うより袋叩きにするという感じである

同じサークルの先輩に対する手荒い祝辞とでもいおうか

こんな新しい伝統が育っているようだ


平成13年3月 柏報掲載

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